「安倍路線の継承」を訴えて第99代内閣総理大臣に上り詰めた菅義偉が、安倍晋三前首相との関係を強めたきっかけは、北朝鮮による拉致問題だった。菅が初当選した1990年代後半から、この問題が一段とクローズアップされると同時に、不審船事件も頻発していた。北朝鮮による対日工作が明らかになる中で、菅が必要性を強調したのが万景峰号の入港を禁止する法律の制定だった。万景峰号は物資や資金の輸送の他、諜報・工作員などの人的往来にも利用されていたことが分かってきていたのである。【日本テレビ政治部デスク・菊池正史】
ところが、戦後、一貫して自民党を支配してきた保守リベラル勢力は、東アジア諸国との対話外交を重視していたため、党内では慎重論が圧倒的だった。
「それは政府が交渉中だ」
「北朝鮮を刺激すると、拉致被害者に危害が及ぶ可能性がある」
党内の会議で、菅は、しばしば、こう反論されたという。
法律制定の動きが、思うように進展しない状態が続く中で、声を掛けてきたのが安倍だった。 「私は菅さんの言っている通りだと思いますよ」
こう連絡が入ったのは、2001年4月に小泉純一郎内閣が発足して間もなくの頃だったという。安倍は官房副長官として拉致被害者の奪還に向けて動きを活発化させていた。
菅は安倍の言葉に背中を押され、拉致被害者家族とも連携して、2004年6月に「特定船舶の入港の禁止に関する法律」を成立させた。
戦後保守政治の裏側 バックナンバー
新着
会員限定