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戦後保守政治の裏側9 安倍長期政権の謎 「まさか」を繰り返したリーダーの言葉

まさか再び「まさか」

 小泉純一郎元首相が引用した言葉を思い出した。【日本テレビ政治部デスク・菊池正史】

 「人生には三つの坂がある。上り坂、下り坂、そして『まさか』である」

 8月28日、安倍晋三首相が突如、辞任を表明した。かつても「まさか」を転げ落ち、「まさか」復活し、これで3度目の「まさか」である。

 1回目は、2007年9月12日に、突然、辞任を表明した。前の月に内閣を改造し、2日前に所信表明演説を行い、代表質問の当日だった。私は、首相官邸の向かいにある国会記者会館で、その執筆に追われている時で、びっくり仰天したものだ。この時も、持病である潰瘍性大腸炎が原因で、政権掌握から僅か1年で「政権放り投げ」「敵前逃亡」「ひ弱なボンボン」と批判され、「まさか」を真っ逆さまに転げ落ちた。

 今回は、事前に長時間通院の場面を見せるなど予兆は見せていた。「万が一にも、(第1次政権と)同じようなことをしてはならない」と辞任表明会見で言うくらいだから、前回の「まさか」を相当意識していたのだろう。その会見では、新型コロナウイルス対策をまとめ、拡大傾向から減少傾向に転じたタイミングで判断したと説明した。

 しかし、いくら憲政史上最長の政権となったとはいえ、自ら「険しく厳しい闘い」だと強調したコロナ禍の真っただ中だ。国会が始まれば、森友学園をめぐる公文書改ざんの再調査や、買収の疑いで逮捕・起訴された河井克行被告らへの1億5000万円の政治資金など、安倍自ら説明を求められる問題が山積している。

 ここで辞めれば、唐突さ加減に多少の違いこそあれ、再び「放り投げ」と批判を浴びることも予想されたはずだ。「前回の二の舞いは避けるだろうから、もう少し様子を見るだろう」というのがおおよその予想だったが、あっけなく辞任を表明した。「まさか」を転げ落ちるほどではなかったにせよ、下ったことには変わりない。

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