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相思相愛の地を離れ、イタリアでさらなる成長を サッカー日本代表の吉田麻也

期待していたが…

 サッカー日本代表DF吉田麻也のイタリア1部リーグ(セリエA)、サンプドリア残留について、正式発表はされていないようだ。しかし8月27日、クラブの公式サイトは「新シーズンの最初のトレーニングセッションが行われた」と伝え、チームの青いシャツを着て汗を流す吉田の姿もあった。同日の吉田個人のSNSでも「newseason」とのタイトルで、自身が練習に励んでいる様子を公開している。

◇ ◇ ◇

 正直、残念だった。吉田は今年1月末、イングランド・プレミアリーグ、サウサンプトンからサンプドリアに6月末までの契約で期限付き移籍した。そのままサンプドリアに完全移籍するとの報道は、セリエAのシーズン終了直後から出ており、それが既定路線だと理解していながらも、正式な発表がないため、交渉が長引いている印象も受けた。筆者は、ひそかに日本代表主将のプレミア帰還を期待していたのだ。

 恐らくそれは、本人も望んでいたのではないか。2017年に「労働許可証を5年以上保持」という英国永住権取得の条件を満たした。水回りが悪いなど住宅関連の問題が多い国だが、吉田は英国での生活を気に入っていた。何よりここにはイングランド・プレミアという世界最高峰のリーグがある。下世話な話になるが、給与や報酬でも他のリーグを相当上回る。

 また、英国南部のサウサンプトンは首都ロンドンへも車で2時間、電車なら1時間半での距離。ちなみに吉田の住まいは、さらにロンドンに近い場所にあり、比較的裕福な人の多い住みやすい街である。だからこそ、まだ幼い子どものいる吉田にとっては、長らく親しんだ暮らしやすい環境を離れるよりも、オファーさえあればこの国に残る選択肢を取ったはずだ。

不可避だった移籍

 吉田が12年から7年半在籍したサウサンプトンを離れてイタリアへ期限付き移籍した最大の理由は、18年12月からセインツ(サウサンプトンの愛称)を率いるラルフ・ハッセンヒュッテル監督から全幅の信頼を得られず、出場機会が減少し続けていたこと。指揮官はエネルギッシュにプレッシングを仕掛けて、選手たちが走り回るサッカーを好む。運動量の豊富な若手主体のチームへとシフトチェンジを目指し、既に昨夏の時点でスティーブン・デービース(現レンジャーズ)やチャーリー・オースティン(現ウェストブロミッジ)といった30歳を過ぎた選手を放出していた。

 そしてベテランの域に入った吉田も、放出の可能性が高いと理解していた。移籍が決定する前に、最後に本人に話を聞けたのは昨年12月14日のウェストハム戦。0―1で負けたこの試合でも出番は回ってこず、試合後は「(起用されたときに)チャンスを生かすか生かさないかで生き残れるかどうか(が決まる)。いつも通りでございます」と自虐的に話した。表情は暗くなかったものの、契約満了まで半年強のその時点でも延長交渉は始まっていない。残留の可能戦は極めて低かった。

イタリアで力発揮

 そして、イタリアへと旅立っていったのは、その約7週間後。移籍後4試合目でセリエAの舞台に立ったが、その後は新型コロナウイルスの影響により、リーグ自体が6月まで中断した。しかしロックダウン(都市封鎖)明けからはレギュラーの座をつかみ、13試合連続出場してチームの1部残留のために実力を発揮。活躍を認めたクラウディオ・ラニエリ監督が吉田の完全移籍での獲得を望み、残留が決まったというのがこれまでの流れだ。

 もちろん「サッカー選手は試合に出てなんぼ」。これは吉田自身がよく口にしていた言葉でもあった。だからセインツのベンチでくすぶっているよりも、サンプドリアの本拠地ルイジ・フェラーリスで活躍するほうが断然素晴らしいことだ。しかし「残された側」としては一抹の寂しさを感じてしまう。

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