アメリカンフットボールの日本代表主将を務めた近江克仁(24)が、最高峰の米ナショナル・フットボールリーグ(NFL)挑戦を決めた。今季のNFLは9月11日に開幕したばかり。その憧れの舞台に将来立つことを夢見ている。「NFLにいくことしか考えていない」。多くのアスリートと同様、コロナ禍に翻弄(ほんろう)されながらも、歩みを止めない近江の熱い思いに迫った。(時事通信大阪支社編集部 阿部太郎)
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8月末。近江は一人、文字通り単身で成田空港から渡米した。目的は、10月に開幕が予定されている米国の育成リーグ、TSL(THE SPRING LEAGUE)に出場するため。TSLはスカウティングの場でもあり、NFLのスカウトやゼネラルマネジャーらが参加選手を評価できる環境にある。米国に向かう機内で、心に誓った。
「11月には25歳になる。自分の実力を見せて、NFLに首を突っ込む」
今は米国のロサンゼルスで、ユース世代から知り合いだった米国人選手と一緒にトレーニングに励んでいる。その練習場には、元NFLの選手なども顔を見せるという。
「『一緒にやらせてくれ』とお願いして、マンツーマンの練習とかやっている。元レッドスキンズや元セインツの選手とか。十分に勝負できるし、むしろ、勝っている。いい刺激になるし、自信になる」
目標を定めたら突き進む。その行動力こそ、近江が持つ強みの一つだ。自分のプレーを売り込んで、関係者の目に少しでも止まるような努力を現地で重ねる。つてをたどって、NFLの代理人探しも行っているという。
「誰かが自分のことを見ていると思うし、どんなことがきっかけになるか分からない」
日本では、自身が所属する「IBMビッグブルー」の日本語が話せない米国人選手らに頼み、ホームステイをさせてもらいながら語学も学んできた。
「現地でも、だいぶ話せるし、聞けるようになっている」
夢見る小学生そのままに
大阪府出身。物心ついた頃から、アメリカンフットボールの魅力に取りつかれた。父は立命館大、社会人とプレーした元アメフット選手で、家のテレビでは常にNFLの映像が流れていた。小学校の卒業文集にはこう書いた。
「NFLの選手になって、億万長者になりたい」
その気持ちはずっと、心にあった。立命館宇治の中学・高校、立命館大を通じて主将を務めた。ポジションはWR(ワイドレシーバー)。QB(クオーターバック)からのパスをキャッチして、タッチダウンにつなげることが主要な役割だ。大学2年時には甲子園ボウルを制して大学日本一に貢献。卒業後は社会人のXリーグに所属するクラブチームのIBMビッグブルーに入団した。2年目の昨季、レシーブ獲得距離を最も稼いで「リーディングレシーバー」に輝いた。
「社会人として仕事をする上でも、アメフットでも、数字へのこだわりを強く持とうと思った。数字に表れるリーディングレシーバーを取れれば、(日本の)WRでナンバーワンと言っても過言ではないと。そこを目指して取れた」
このタイトル獲得が、本格的なNFL挑戦のよりどころとなった。
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