会員限定記事会員限定記事

つぶやくサラリーマン・大伴家持 SNSと『万葉集』

新谷秀夫(高岡市万葉歴史館学芸課長)

 著名人の生涯や、その家系をたどるテレビ番組があります。番組上、多少のデフォルメはあるのかもしれませんが、歴史上の人物かと思ってしまうほど数々のドラマに満ちた内容の時には「著名人だもんな、やっぱり一般人とは違うよな」と口にしてしまうほど面白いと感じることがあります。さて、そんな番組に倣って、ある歴史上の人物の生涯を、現代に生きるサラリーマン風に簡略にたどってみましょう―。

左遷からの出世、そして汚名…ある歴史上の人物の激動の人生
 幼い頃に母と死別。その後、父とも死別したため、叔母が母代わりとなり育てられる。叔母から英才教育を受けた彼は、父と同じ国家公務員に。若い頃の彼は、いろいろな女性と浮名を流したりもしたが、育ててくれた叔母の長女と結婚して(叔母が怖かったのでしょうか…)、妻一筋の良き夫として落ち着く。しかし、新婚早々しばらくは地方での単身赴任生活を送る。

 地方勤務で経験を積んで実績を挙げたが、本省では反対勢力が強かったため、なかなか出世できずに本省勤務と地方勤務を交互に繰り返す。何度も左遷の憂き目にも遭うが、クビになることなく働き続け、退職間際になって親友の計らいで大抜てきの出世!

 しかし、死んでから反対勢力の謀略で犯罪者の汚名を着せられ、墓を掘り起こされて息子とともに遺骨が流罪に処されるという恥辱まで受ける。名誉が回復するのは亡くなってから20年も後。そして、彼がずっと真剣に携わっていた仕事が日の目を見ることに。それこそが日本最古の歌集『万葉集』であり、この後1000年以上にわたり読み継がれることになる。

 以上の人生を送った人物とは…そう、『万葉集』を編さんしたとされる大伴家持(おおとものやかもち)です。家持がいかに波瀾(はらん)万丈な人生を歩んだか、お分かりいただけるでしょうか。まさに大河ドラマばり、それが家持の人生でした。家持の人生をドラマにしたら、1クールでは終わらないだろうと思えてなりません。

 さて、家持の人生は当時の歴史を書き記した『続日本紀』(しょくにほんぎ)で確認できるのですが、ここに書かれているのはあくまでも「どんな職に就いていた」という程度のものです。人生の折々に家持が何を考え、どう行動したかを『続日本紀』から知ることはできません。それを補ってくれるのが、家持が詠み続けていた和歌であり、それらが収められている『万葉集』なのです。

 ただし、その和歌も42歳で詠んだ「新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いや重け吉事」(あらたしき としのはじめの はつはるの けふふるゆきの いやしけよごと/巻20・4516)という歌を最後に途絶えます。その後、67歳で亡くなるまでの25年間―この期間こそがまさに波瀾万丈だったのですが―家持が何を思い、何を考えていたかは想像するしかありません。「降り積もる雪のように良いことが重なりますように」という意味のこの最終歌で『万葉集』が締めくくられていることに、家持のその後の人生への思いが込められているのではないかと考えられています。しかし、その思いが実際はどのようなものなのだったのかは、研究者たちがそれぞれに解釈していて定説はありません。

新着

会員限定

ページの先頭へ
時事通信の商品・サービス ラインナップ