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柔道家ダグ・ロジャースさんと日本をつないだもの

師と仰ぐ木村政彦を泣かせた

 カナダが誇る柔道家、ダグ・ロジャースさんが今年7月に79歳で亡くなった。1964年東京五輪の重量級銀メダリスト。猪熊功との決勝は15分に及ぶ長丁場の戦いの末に優勢負けした。史上最強と称された木村政彦を師と仰ぎ、五輪の後は拓殖大学柔道部の一員としても活躍。石原裕次郎も歌った悲恋の歌を好んだ。日本とのつながりは短くも深く、そして濃かった。(時事通信運動部 和田隆文)

◇ ◇ ◇

 拓大は65年に木村政彦師範の下、7人制の団体戦で争う全日本学生柔道優勝大会を初めて制した。専大、関大、近大、明大を破り、ロジャースさんは全て一本勝ち。明大との決勝では唯一ポイントを挙げて1―0で優勝に導いた。拓大の優勝はこの一度だけ。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」といわれた柔道の鬼が外人選手の手を取って泣いている、と毎日新聞は書いた。

 東京五輪イヤーだった64年春に初めて拓大の門をたたいた。木村に寝技を教わるためだった。五輪予選の全米選手権を現地で観戦した際、決勝まで進んだ無名の米国選手が繰り出す独特な寝技に目を奪われ、拓大の木村のところに行ったことを聞き出すと自らもそうした。全日本学生の優勝メンバーで長く親交のあった安斎悦雄さん(75)は、本人からそう聞いたのを覚えている。

 40代後半になっていた木村に寝技でやすやすと抑え込まれても、せっせと通った。猪熊との戦いを見据えていたのか。安斎さんは地元の道場では猪熊の弟弟子にあたり、五輪の決勝を複雑な思いで見たが「ロジャースが帯を取って寝技に引き込もうとして、業師の猪熊さんがそれを嫌った」と振り返る。背負い投げをつぶせなかった日本武道館での惜敗が、日本での日々を長くした。

東京五輪銀から拓大入り

 失意の東京五輪から数カ月がたった冬の頃、ロジャースさんは講道館にいた。試合を見ているその背中に、拓大OBで日刊スポーツの記者だった宮澤正幸さん(90)が声を掛けた。柔道も担当していた宮澤さんはまだ拓大で稽古を続けていると聞き、いっそ学生になって日本の選手と試合をしながら鍛えたらどうかと問いかけると「おー、それ面白いですね」と返してきたという。

 宮澤さんが当時の古い日記を見せてくれた。65年2月13日の欄に「ロジャース拓大入学の件」とあり、狩野敏理事長に直接掛け合ったという。3月11日には「ロジャース4段(カナダ)拓大入り工作成功」。その翌日に柔道部の木村師範、草間弘栄監督に話し、15日に「カナダのロジャース4段、拓大入り」と記されている。4年制は願書の提出が間に合わず、短大に進んだ。

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