日本ソフトボール協会の新会長に、副会長を務めていた三宅豊さん(68)が就任した。現役時代、日本で初めてウインドミル(風車)投法を確立した大投手。伝説の「風車」は、東京五輪が延期され、コロナ禍にある日本ソフトボール界の先頭に立って、再び風を起こせるか。抱負と課題を聞いた。(時事通信社・若林哲治)
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群馬・新島学園教員時代の教え子ら多くの人たちからお祝いの連絡があったが、「おめでとうじゃないよ、コロナの中で大変なんだよと」返したという。満を持しての「登板」に見えるが、「会長になりたいと思ってやってきたわけではないし、むしろ遠慮気味だったけど、皆さんからそういう声があるので、最後の勤めかなと」。
協会は昨年、創立70周年を迎えた。今年は東京五輪で女子が金メダルを獲得し、その勢いで次の時代へ―。会長就任の流れができた頃はそんなイメージだったのが、一変した。
だが、コロナ対応に最善を期す一方で、目指すものは変わらない。70周年に際して協会がまとめた「2030年の『ありたい姿』」。常に代表が世界一を目指す一方で、この競技が持つ大衆性をさらに追求し、「富士山のように裾野は広く、その上に天高くそびえる頂点がある。そんなイメージの競技にしたい」という。
「ソフトボールが地域と密着し、生活の中に溶け込んだものにしていく。その中に皆さんの潤いとか笑顔とか、互いを認め合う心が生まれる。それが一番の夢と言うか、先にあるものですね」
「ありたい姿」に沿って、若年層の育成など徳田寛前会長時代の展開をさらに進めた取り組みを具体化し、まず幾つかのモデル都道府県を選んで実践していく考えだ。
同時に、大学連盟との連携を深め、全国にいるOB・OGたちの力を取り込む必要性を痛感している。「現役部員や学連を中心とした人たち、それとOB・OGがたくさんいる。卒業して地方に帰る人も多い」。現役にはSNSなどを使った広報体制の充実などに、OB・OGには地域活性化に力を借りたいという。
企業の存在が大きくなった日本のスポーツ界にあって、まだ大学が頑張っている競技。卒業後もクラブチームの現役や指導者、審判などさまざまな形で携わる人たちが多いが、個々の情熱で動いているのが実情だ。
「やっていた人は面白さを分かっている。それを広く伝えていく意味でも、輪をつなげて広げない手はないと思います。そういうつながりを持てるのがスポーツの良いところ」
■三宅 豊(みやけ・ゆたか) 1951年11月25日生、群馬県安中市出身。新島学園高でソフトボールを始め、3年生で高校総体優勝。日体大で大学選手権4連覇、国体、日本選手権優勝。卒業後は新島学園へ赴任し群馬教員クラブのエースとして活躍。120キロ近い速球とライズボール、ドロップを武器に93年の引退まで通算171勝26敗、終身防御率0.46。全国大会優勝22回。世界選手権4回出場。新島学園高監督を経て日本協会理事、副会長・強化本部長を歴任。2005年国際ソフトボール連盟殿堂入り。
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