敵としての顔だけではない
ウイルス感染が私たちにもたらすものは、病気や死、さらに経済活動の停滞といった災いだ。私たちはそのことを、新型コロナウイルス感染症で身をもって経験している。
だが、ウイルスは必ずしも人類の敵だとばかりは言えない。「生物の進化」や「生態系の調節」に関与するといった別の顔も持っていることが、近年の研究で明らかになっている。例えば、生物のゲノム(遺伝子の総体)に入り込んだウイルス由来の遺伝子が、生物の進化に関わったり、海中のウイルスがプランクトンの大量発生を食い止めて生態系のバランスを保ったりすることもある。生物と共生する中で、ウイルスは数々の重要な役割を担っているのだ。
太古から地球に生き続けてきたウイルス。その存在は、ヒトを含む生物にどのような影響をもたらしてきたのだろうか。ウイルス由来の生物進化などについて研究し、自然界でのウイルスの存在意義を解明する新学術領域研究「ネオウイルス学」にも参加する東海大学医学部講師の中川草氏に話を聞いた。
ウイルスが生物の進化を促す
地球に生命が現れたのは約38億年前。一方、ウイルスは遅くとも30億年前には地球に存在していたとされる。その根拠は、30億年前に大きく枝分かれした生物の分類群に共通して、その後もウイルス感染の跡が見つかっていることにある。ウイルスは、地球に現れてから常に自らを増やす場を求め、生物に感染し続けてきた。そのひとつが、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の動物やヒトへの感染である。
では、ウイルスは私たち生物にとって単に「感染する」のみの存在だったかというと、そうではないらしい。「生物の進化を促す」働きがあることも、近年の研究から分かってきた。
それはこんな具合だ。
ウイルスは、ヒトをはじめとする生物の生殖細胞に感染すると、その生物の遺伝子の総体であるゲノムの一部と化してしまうことがある。そのため、生物のゲノムの中にはウイルスのゲノムに由来する、もしくは極めて類似した領域があり、そのようなDNA分子の並びは「内在性ウイルス配列」(EVE:Endogenous Viral Elements)と呼ばれる。生物のゲノムを構成する要素は、その特徴や由来によって幾つかに分類されるが、ヒトで約2万2000個あると知られている典型的な遺伝子よりも、実はEVEの方が構成比としては大きい。
EVEのほとんどは、すでに遺伝の機能を失った「がらくた」と考えられている。だが、中には感染先の動物の体内で新たな遺伝の機能を獲得し、生物進化に深く関わったものもある。
つまり、動物にとってウイルスは単に「感染してくるもの」ではなく、「進化を促すもの」でもあり得るわけだ。
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