疫病の流行は神様のせい?
日本で疫病(伝染病)が広まり、危機に直面するのは当然ながら現代に始まったことではない。それでは昔の日本人は、どのように疫病と向き合い、乗り越えてきたのだろうか…。
その手掛かりは、神話の時代にまでさかのぼることができる。
日本各地に伝わる神社の由緒には、疫病にまつわる話が数多く残されているからだ。例えば「神様(あるいは恨みを抱いて死んだ者の霊)の祟(たた)りによって疫病がはやったが、その霊を神社に祀(まつ)り慰めたところ、祟りが鎮まり疫病が治まった」というパターンの伝承は多い。
疫病の神話・伝承は、わたしたちの祖先が疫病の苦難を乗り越えてきたことの証しである。これらの話は、疫病に備えることの大切さや、たとえ流行してしまっても、きっと克服できることを伝えてくれる。
では、具体的にはどんな話があるのか。まずは『古事記』の例を紹介しよう。
『古事記』に記されているパンデミック
神武天皇(じんむてんのう)は、日本国内を初めて統一して天皇位に就いたとされる。その後8代の天皇は事績が伝わっておらず、詳しい功績が分かるのは第10代の崇神天皇(すじんてんのう)からとなる。
崇神天皇の御代(みよ)は、日本という国家の礎がようやく固まりかけた時代であった(まだ半ば神話の世界であり、崇神天皇が実在したかについても意見が分かれているが、一説によると、その治世は紀元前1世紀ともいう)。
この崇神天皇の治世に、当時にすればパンデミックのような状況があったことが『古事記』に記されている。
それによると「人民の多くが感染して、すべての人が死に絶えてしまいそうになった」という。
誇張はあるかもしれないが、この時の疫病が相当にひどいものであったことが想像される。
事態を憂えた崇神天皇は神牀(かんどこ)という神のお告げを受けるための床(ベッド)に横になり、どうすれば疫病が治まるのか神に尋ねられた。すると、その枕元に大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が現れて、こう告げたという。
「この疫病の流行は、私の祟りである。オオタタネコという者を探し出し、その者に私を祭神とした祭りを行わせれば、疫病は治まるであろう」
ここで登場するオオタタネコは、大物主大神がイクタマヨリビメという美女のもとに通って生ませた男子である。天皇は、四方に人を派遣し、このオオタタネコを見つけ出して大物主大神を祀らせたところ、お告げの通り疫病はやんだという。
そして創建されたのが、奈良県桜井市に鎮座する大神神社(おおみわじんじゃ)とされる。
大神神社は地域の人々だけではなく、朝廷からも崇敬を受けていたという。古くから疫病を治す神として信仰されていたが、「なぜ治病の神徳があるのか」という疑問も持たれたはずだ。
そこでこういった神話が生み出されたものと思われる。
新着
会員限定