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東京五輪「にわか簡素化」のジレンマ

忘れたはずの「コンパクト」

 新型コロナウイルス感染症のため、来年7月に延期された東京五輪・パラリンピックについて、大会組織員会が国際オリンピック委員会(IOC)との間で、「簡素化」「合理化」を目指す基本原則をまとめた。「それなら…」と開催に理解を示す人がいるかもしれないが、実現に向けては、コロナ対策の難しさだけでなく、五輪の肥大化を招いてきた構造とのジレンマも浮かび上がる。

 計画の見直し対象は開・閉会式や関連イベントの簡略化、各国役員ら参加者の制限などで、可否や要否の不透明な候補を含めて200項目を超すという。コロナ危機の今後の推移にもよるが、無数の困難が待ち構えていることは容易に分かる。

 ただほとんどは、ワクチンや新薬にめどが立たない状況で開催を目指すなら、当然取り組むべきコロナ対策。ことさら強調するまでもない。まして「簡素化」と称することには、抵抗がある。五輪批判を和らげ、一見これを機に五輪のあり方を見直すべきだとの主張にも沿うように聞こえるが、そもそも東京大会は、経費も使用施設も「コンパクト五輪」をアピールして招致したのではないか。なのに、まるで既定路線のように拡大を続け、コロナ危機がなければ公約などすっかり忘れ去って開幕を迎えようとしていた。

 組織委は10日、「2021年の開催に向けた方針」として(1)選手、観客、関係者、ボランティア、大会スタッフの安全・安心を最優先する(2)延期費用を最小化して都民・国民の理解と共感を得る(3)安全かつ持続可能な大会とするため簡素なものとする―を示した。

 「延期費用」を「開催費用」と置き換えれば、どれも招致ファイルに書いてある。「簡素化」の前提として、「コロナは世界を変え、そして物事の優先順位も変わった」ともうたっているが、この3方針を見ると、では今まで何を優先させてきたのかとさえ言いたくなる。

 東京大会だけではない。「簡素化」は肥大化を続けてきた五輪の、もはや永遠とも言うべき課題になっている。IOCも改革の重要課題としてきたが、めぼしい成果は挙げてこなかった。それを降って湧いたコロナ対策の「衣」として使っても、どこかに縫い目のずれやほころびが生まれる。

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