新型コロナウイルスが世界にまん延し、私たちの暮らしを壊している。毎日、コロナウイルスに何人が感染し、何人が亡くなったかというニュースばかりだ。
このままでは、コロナ鬱(うつ)という状態に陥ってしまう。そうはいうものの、このコラムでコロナ以外のテーマを書く気持ちにならないので、今、考えていることを書きたい。
◆望ましい世界
私たちが目の前の問題解決にきゅうきゅうとするのは、やむを得ないとはいえ、コロナ禍後の世界をどうするか。どのような世界が望ましいか。
その仕組みや、それを支える思想について、思考を巡らせておく必要があるのではないかと考えている。
私のような教養も、知見も、十分ではない者が考えるのは、適当ではないが、思い付くまま、徒然(つれづれ)なるままに列記してみる。
まず、「強い政府」か、「そうではない政府」か。
安倍晋三首相による緊急事態宣言が出されたものの、政府と地方自治体との間で、休業補償のコストなどをめぐり、ごたごたし、情けないことに、指示系統の混乱を国民に見せつけた。
こうなると、感染拡大を防止するには、日本国民の持つ良識(マスク、手洗い、他人との接触禁止など)しか、頼りにならないということになる。ちょっと情けないという気持ちにならざるを得ない。
◆日本も強権的にすべきか
安倍1強といわれ、強いリーダーとして振る舞い、在職歴代最長の政権を維持している首相だが、この危機に際して、パフォーマンスばかり目立っている気がする。
しかし、他の人に代われば、もっとうまくいくのかと言われれば、そういう気もしないのが悲しい。
このような日本政府の弱腰、曖昧とも見えるコロナ対策の影響で、強制力の強い国家、そうではない国家のどちらが望ましいのかを考えたい。
強い国家の代表は中国。コロナ対策として、武漢などを強制封鎖し、ITを活用し、国民全てを監視下に置くことで、感染拡大を防止している。そして、今では、防止したと自画自賛するありさまだ。
パンデミック(世界的流行)には、中国のような私権を制限する強権的国家が強いというのが、現状における大方の意見のようだ。そのため、日本も強権的であるべきだという意見が、特にテレビのコメンテーターから発せられる。
私から見ると、ついこの間は、私権を制限する感染症予防の特別措置法制定に反対していたのは誰だ、と半畳を入れたくなる。コロナ禍後、世界は中国化すべきなのか。
中国の対極に位置するのが米国だ。現在の米国が世界の民主主義国を代表しリードしているかどうかについては、疑わしいとの見方もあるが、反中国化の代表的国家であることは間違いない。
その米国は、コロナ禍で死者が10万人を超えた。この現実を見ると、パンデミックに民主主義国家は弱いという意見が強くならざるを得ないかもしれない。
◆文化的復元力
これはコロナ禍に関してではないが、思想家の内田樹氏は「サル化する世界」(文藝春秋)の中で、米国の「文化的復元力」について述べている。
米国の強さは、カウンターカルチャーがあることだ、と氏は指摘している。国家が提供するメインカルチャー(メインシナリオ)を検証し、それに対抗するカウンターカルチャー(反対のシナリオ)があるのが米国である。
例えば、大統領を称賛する人たちがいる一方で、大統領の不正を追及する映画を作ってしまうように、多様性を許容するのが米国だ。
これをコロナ禍に当てはめれば、米国は、コロナ対策に失敗しても、なぜ失敗したのか、どうすればよかったのかについて、多様な意見を戦わせ、検証し、強い復元力を発揮するだろうと推測される。
中国では、絶対にそんなことは許されない。習近平国家主席の指導を礼賛し、多様な意見は封じ込められるだろう。その結果、国家は硬直し、外見的には強いが、実際はもろく、壊れやすいということになる。
果たして、コロナ禍後は、中国的強権国家よりも、米国的民主主義国家の方が復元力が強いのか。私たちはどちらを選択すべきなのか。
◆同調圧力が極端に強い
4月11日付日経新聞のオピニオンで、秋田浩之氏が「遠のく中国主導の秩序」と題して、コロナ禍後の世界を考察している。
氏は、コロナ禍後は三つのシナリオがあると言う。第一は、米国の優位が失われ、中国優位になる。第二は、ウイルスの発生源となった中国の優位が失われる。第三は、「Gゼロ」といわれるリーダーの無極化世界の三つだ。
この中で、氏は第二のシナリオが一番可能性が高いと言い、コロナ禍後は、中国の覇権化よりも、むしろ不安定化を恐れなければならないと警告する。氏も、多様性を認める民主主義国家に信を置いているのだ。
日本の怖さ、あるいは弱さは、国民が集団ヒステリー的に、一時的に国家に強権を与える方向に流れることだ。
建設的な批判(カウンターカルチャー)は影を潜め、単一の方向に向かう同調圧力が極端に強い。戦前に軍部が力を持ってしまったのを見れば分かる。
コロナ禍後に、日本で、民主主義的に多様な意見を戦わせることができるだろうか。
「まあ、よくやったじゃないか。批判してお互いの傷をなめ合うのはやめよう」という同調圧力が強くなるようでは、次のパンデミックを防ぐことにはならない。どんな国の形を選ぶのか、秋田氏のような議論が多く発せられることを望みたい。
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