日記で役人の隠蔽体質、さらに上(習主席)しか見ない官僚体質を厳しく非難した。
「ひとしきりの疫病で、無数の人間模様が暴露されました。そして中国各地の役人の基本的レベルもあらわになりました。さらにわれわれの社会の疾病も露呈しました。これは、今回のコロナウイルスよりもたちが悪く、いつまでも治らない疾病です」(1月30日)。
「『人から人への感染はない』。この言葉が武漢を血と涙、無限の苦しみの街に変えてしまったのです」(2月9日)。
「一つの国家が文明的かどうかを計る尺度は、高層ビルが多いとか、車が速いとか、強大な武器や軍隊を持つとか、発達した科学技術、優れた芸術、派手な会議や光り輝く花火や、全世界を豪遊し、モノを買いあさる観光客が多いかどうかではない。尺度はたった一つ。それは、その国の弱者に対する態度なのです」(2月24日)。
「集団の沈黙こそ最も恐ろしいこと」(2月29日)。
「私とわれわれは知りたい。こんな大きな問題が、なぜ隠蔽されなければならなかったのか」(3月8日)。
SNSにアップされた日記は、検閲に遭って削除され、共産党・政府寄りの人から方方さんは脅しを受けた。それでも筆を置くことはなかった。それは武漢の人々の「記憶」を引き継ぎ、「記録」として残すためであった。
「忘れれば恥辱背負うことに」
「反省と責任追及の両者は一体なのです。厳正な責任追及がなければ、厳粛な反省は不可能です。今、人々の記憶はまだ残っており、事細かな時間感覚もある。みな脳裏の中に深刻に刻まれています。まさに始めなければならない時です。政府に対しては調査チームを迅速に立ち上げ、感染がなぜ今日の災難に拡大してしまったのか徹底した調査を改めて望みたい。同時に次のことを提案します。記述能力のある武漢人として、私は1月以来、見たこと、聞いたこと、感じたことを記録していますが、さらに民間の書き手たちがグループをつくり、死者の遺族を探し出し、亡くなるまでの経緯を書くことを支援するよう希望します。われわれあらゆる武漢人は、今回の災難が残した集団の記憶を書き留めるべきです」(3月9日)。
湖北省政府は3月24日、4月8日をもって武漢の封鎖措置を解除すると発表したが、方さんは3月24日の日記を最終回とした。60編まで積み重なった日記の最終回でこう記した。
「2カ月間以上も家に閉じ込められた武漢の市民として、また武漢の悲惨な日々を体験し目撃した証人として、われわれには無念のまま亡くなった人の遺恨を晴らす責任と義務があるのです。誰が誤ったのか、誰に責任があるのか。もしわれわれが責任追及をあきらめれば、もしわれわれが絶望を忘れる日があるとすれば、私はこう言いたい。『武漢人よ、あなたたちの背負うのは災難ではなく、恥辱なのですよ』と」(3月24日)。
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