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コートの妖精、激動の物語に幕 一時代築いたシャラポワ

 女子テニスのスターとして一時代を築いたマリア・シャラポワ(32)=ロシア=が現役引退を表明した。米雑誌に寄稿したエッセーの中で「テニスにさようならを言いたい」と記し、4歳からの長い競技人生に終止符を打つ決意を固めた。シングルスの元世界ランキング1位。四大大会(全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドン選手権、全米オープン)で計5勝を挙げ、全ての大会を制する「生涯グランドスラム」を達成した。その美しい容姿とスタイルから「妖精」と呼ばれ、モデルとしても活動。人気と実力を兼ね備え、テニス界を彩った。一方で全盛期を過ぎるとドーピング問題やけがに悩まされることも。コートの内外で話題を呼んだ激動の競技人生だった。(時事通信運動部 木瀬大路)

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 旧ソ連でチェルノブイリ原発事故が起きた当時、シャラポワの両親は現場から遠くない現ベラルーシのゴメリに住んでいた。身ごもっていた母エレナさんと父ユーリさんは、胎内被ばくなどの危険を避けるためシベリア地方のニャガンへと逃れ、1987年4月に娘が誕生。たくましく育ったシャラポワは、4歳でテニスを始める。6歳のころ、四大大会18勝を誇るマルチナ・ナブラチロワに才能を見いだされ、錦織圭(日清食品)も属した米フロリダ州のIMGアカデミーで本格的にテニスを学ぶことを勧められた。

 年齢制限などさまざまな問題もあり、9歳でアカデミーに入った。母をロシアに残し、ろくに英語を話せなかった父と2人だけ。貧しい生活に耐えながら、生来の負けん気も手伝ってひたすら練習に打ち込み、めきめきと上達していった。国際テニス連盟(ITF)の下部大会で経験を積み、2003年のAIGジャパン・オープンでツアー初優勝を果たした。

17歳で四大大会V

 シャラポワは188センチの長身から繰り出す強烈なサーブや、甲高い大きな叫び声を上げながら放つストロークが武器だった。波に乗せると手がつけられず、スピードのあるフォアハンドで相手を圧倒。際どいクロスのショットに対し、より鋭角に打ち返すカウンターは観客の度肝を抜いた。今もトップクラスのセリーナ・ウィリアムズ(米国)や赤土の女王ジュスティーヌ・エナン(ベルギー)、四大大会4勝のキム・クライシュテルス(同)らとの激しい戦いは記憶に新しい。

 04年のウィンブルドンでは、決勝でセリーナにストレート勝ちして四大大会初勝利。17歳2カ月での四大大会優勝はマルチナ・ヒンギス(スイス)に次ぐ2番目の年少記録だった。05年にはロシアの女子選手として初めて世界ランキングで1位。名実ともに世界のトップ選手に躍り出た。

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