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センバツ中止、大リーガーが32校にエール 甲子園球児だった大谷、ダル、マー君

ドキドキだった出場決定

 第92回選抜高校野球大会が新型コロナウイルス感染拡大を受けて中止となった。選抜大会は太平洋戦争の影響で中断した時期があったが、予定されていた大会の中止は史上初めて。100回を超える夏の選手権大会でも、米騒動を背景に取りやめた1918年と戦時色が強まり地方大会の途中で打ち切った41年の2度だけ。現状ではやむを得ない決定とはいえ、春夏とも戦後70年以上の間で例がなかっただけに衝撃は大きい。

 かつて甲子園に出場し、現在は米大リーグでプレーする日本人選手が、選抜大会への切符をつかんでいた高校球児の心情をおもんぱかった。(時事通信社 米大リーグ取材班)

◇ ◇ ◇

 エンゼルスの大谷翔平選手は岩手・花巻東高で2011年夏と12年春に甲子園に出場。12年の選抜大会では1回戦で、藤浪晋太郎投手(現阪神)と森友哉捕手(現西武)のバッテリーを擁した大阪桐蔭高に2―9で完敗した。先発して五回まで無失点も後半に崩れ、8回3分の2を投げて11安打11四死球で9失点。それでも11三振を奪い、打っては二回に藤浪から本塁打を放って大器の片りんをのぞかせた。

 今年の春季キャンプ中、高校時代の選抜大会について問われた。口にしたのは、大阪桐蔭に屈したことではない。その試合より2カ月前の1月下旬、出場校が決まる選考委員会当日の印象だった。

 「センバツは選ばれると(学校に)電話が来ますけど、出られるか出られないか、本当にどっちか分からないという感じのラインにいたので、かなりドキドキしてその日を待っていました。選ばれた時は、すごくうれしかった。夏は(自力で)勝てば出られますけど、その日はドキドキしていた」

「夏にまた頑張って」

 花巻東は11年秋の東北大会で準決勝敗退。その後の明治神宮大会を青森・光星学院高が制し、東北地区に「神宮大会枠」が加わり、出場枠が通常の2から3に増えていた。そうはいっても、文字通り「選抜」される立場。東北の3枠目に入るかどうかは予断を許さない。だから、決まった時の喜びはひときわ大きかったようだ。「ドキドキした」と繰り返したところに実感がこもる。

 うれしさを鮮明に覚えているからこそ、同じような歓喜を味わいながら甲子園の土を踏めない選手らの気持ちを推し量っているのかもしれない。その上で、「夏にぜひ、また出てほしい。今回はこうなってしまって非常に残念ですけど、夏に向けて、全チームに頑張ってほしいなと思います」と32校にエールを送った。

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