前回1964年の東京五輪はプロ野球の球団に所属するサポートスタッフに大きな影響を与えた。元日本プロ野球トレーナー協会会長で、現在は広島のトレーナー部アドバイザーを務める福永富雄さん(77)もその一人。五輪で5カ国の選手のコンディショニングを担当した思い出を語った。
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福永さんが広島に入団したのは63年。派遣が決まったのは五輪イヤーのシーズン後という慌ただしさだった。
「渋谷の選手村に毎日行って、要望があった国の選手にマッサージをする仕事だった。ガーナ、プエルトリコ、ギリシャなど5カ国を担当した」
米国チームの専属トレーナーの姿は今でも目に焼き付いている。
「白の上下に革の靴を履いていて格好良かった。いろんな道具を持っていて、選手にオイルや塗り薬を付けてマッサージしていた。名前の所に『トレーナー』と書いてあって、そんな仕事があるのかと思った」
今では当たり前となっている「トレーナー」という言葉が日本にない時代。球団2年目の福永さんにとって、異文化体験は衝撃の連続だった。
「僕たちの仕事は今で言うマッサージ師のようなものだった。いろんなものを見ることができて、すごく視野が広がった」
競技の思い出は、グラウンドレベルで観戦したサッカーの日本対ガーナ戦。川淵三郎、釜本邦茂らを擁する日本が敗れた一戦で、相手選手の体を手入れした。
「ガーナの選手はマッサージした記憶もないぐらい遊んでいた。ミーティングもせず、秋葉原で買ってきたラジオで音楽を聞いたりして。だから日本が負けた時は悔しかった」
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