バスケットボール男子Bリーグのレバンガ北海道に所属する大ベテラン、折茂武彦選手(49)が自身のラストシーズンに臨んでいる。国内リーグで通算1万得点を達成しているレジェンドは昨秋、今季(2019~20年)限りでの現役引退を表明。27年目のシーズンで選手生活に終止符を打つ決断を下した。日本リーグ(後にスーパーリーグ)のトヨタ自動車で活躍。新天地の北海道では運営会社が経営破綻し、自ら経営者になって選手との二刀流でチームを復興させた。波瀾(はらん)万丈の競技人生。その根幹には、強烈な負けん気と日本バスケットボール界のメジャー化を夢見てきた情熱があった。(時事通信札幌支社編集部 藤井隆宏)
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1月18日にレバンガ北海道のホーム「北海きたえーる」で行われたBリーグのオールスター戦。先発出場した折茂は開始直後にパスを受けると、スクリーンを使ってフリーになり、鮮やかにシュートを決めた。相手チームで折茂とマッチアップしたのは富樫勇樹(千葉)。リーグを代表する26歳のポイントガードは、過去の折茂を直接的には知らない。その印象を冗談交じりに「よく対戦するチームの社長」と語る。一方で「北海道でのオールスターで1本目をしっかり決め切るのは、普通の49歳じゃ絶対にできないこと。改めて、すごさを感じた」と敬意を表した。
実業団での栄光と葛藤
折茂がバスケットボールを始めたのは中学時代。日大では全日本大学選手権(インカレ)を制覇した。卒業後の進路に選んだのは、「(当時)一番弱かった」という日本リーグのトヨタ自動車。「大学では、ほぼ負けたことがなかった」だけに、当初は戸惑いの連続だった。「正直、負けるということにも慣れていなかった。チーム成績もビリだし、自分が何をやっても勝てないし、こんなに厳しい世界なんだなとは思った」
あえて弱小チームを選んだことには、個人的な戦略があった。自身の目標は日本代表入り。強豪チームに入っても「ベンチに座っていたら、日本代表になど選ばれない、と思っていた」。弱くても試合に出続け、自らが引っ張って存在感を認めさせる―。そんな野望を抱いていた。
チーム力とは裏腹に、資金は潤沢だった。折茂が次々と幹部に進言。ヘッドコーチを米国から呼んだり、日大の後輩をスカウトしたり、足りないポジションに海外から選手を呼んでもらったりと、徐々に強化が進んだ。それらが実を結び、2001~02年シーズンにスーパーリーグ(日本リーグが改称)を初制覇。中心選手の折茂も日本バスケット界屈指のシューターとして名をはせ、日本代表に選ばれて世界選手権にも出場した。
順風満帆に見えても、心中は常に葛藤があった。当時のトヨタ自動車は企業チームで、他チームの選手と同様に身分は社員だった。「プロ選手というものに憧れていた」という折茂は会社と交渉した末、「バスケット専属の契約社員」に。「複雑だった。何で俺は、バスケットしかやっていないのにプロと呼べないのかなと」。プロの肩書は得られなかった。
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