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東京は誰に何を託す 聖火最終点火者

無名の若者たちも大役

◇「未来」「希望」の願い込め

 オリンピアン以外から最終点火者を選ぶ場合には、さらに強いメッセージ性が感じられる場合が多い。

 64年東京五輪では、広島に原爆が投下された45年8月6日に広島県内で生まれた坂井義則が選ばれた。当時は早稲田大の陸上選手だった。旧国立競技場の階段を軽やかに、しかし力強く駆け上がる姿は、航空自衛隊のブルーインパルスが秋晴れの空に描いた五輪マークとともに、人々のまぶたに焼き付いた。その後はフジテレビで活躍。今回の東京五輪開催が決まってから1年後の14年、69歳で亡くなっている。

 76年モントリオール五輪の十代2人は、フランス語を話す少年と英語を話す少女。この地の歴史と文化の多様性を象徴していた。

 88年ソウル五輪は3人の若者で、1人はこの五輪のマラソンに出場した陸上選手だが、2人はそれぞれ学校の教師、女性ダンサーだった。

 12年ロンドン五輪では7人のオリンピアンがそれぞれ選んだ10代の若者7人が大役を務めている。1人はのちに陸上で五輪のメダリストになったが、スポーツ選手でない若者も含まれていた。

 また、16年リオ五輪では市内の教会にも「第2の聖火台」が設置された。この教会では93年にストリートチルドレンの子どもたちが虐殺される事件が、00年にはバスジャック事件が起きている。競技場へ入れない人も聖火を見られるようにとの配慮とともに、市民の深い悲しみと願いが込められていた。

◇札幌冬季五輪は市内の高校生 

 なお過去2回、日本で行われた冬季五輪では、72年札幌五輪が高校1年生の高田英基、98年長野五輪は92年アルベールビル五輪フィギュアスケート女子シングル銀メダリストの伊藤みどりによって点火された。

 札幌は同じく高1の辻村いずみがスケートで真駒内スピードスケート競技場(現真駒内セキスイハイムアイスアリーナ)のリンクを滑走し、トーチを受け取った高田がスタンドの階段を駆け上がる演出だった。2人は、札幌市内在住のスポーツ好きな少年少女から選ばれている。

 聖火最終点火者はその時まで明かされないことが多いが、札幌、長野は事前に公表された。

 12年のストックホルム大会で初めて五輪に参加して以来、多くのヒーロー、ヒロインを生んできた日本スポーツ界。同時に、夏冬過去3回の五輪開催当時とは、国際情勢もその中の日本の位置も大きく変わり、世界へ向けて何らかのメッセージを発信する瞬間として注目する国民も多い。誰に何を託すか。(敬称略)(時事通信社・若林哲治)(2020.2.3)

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