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「ミア・サン・ミア」の反骨精神 強豪バイエルン・ミュンヘンの本拠地を歩く

1台の古いタイプライター

 サッカーのドイツ1部リーグ(ブンデスリーガ)、強豪バイエルン・ミュンヘンの本拠地アリアンツ・アレーナに併設されているミュージアムには数え切れないほどのトロフィーが並んでいて、何とも華やかだ。それでも不思議なことに、展示全体から伝わってきたのは、その裏にあるつつましいメッセージ。「影あっての栄光」―。帰り道には「バイエルンも苦労してきたのか」と、このクラブが少し好きになった。

◇ ◇ ◇

 例えば、ミュージアム入り口の近くにある1台の古い電信用タイプライター。1963年に現行リーグが発足する際、ドイツ・サッカー連盟がバイエルンに参入不可を伝えるために使用したものと同じ型だという。

 実力的にはバイエルンの参戦は認められてもおかしくなかった。だがその名の通り、1860年創設と歴史は長い1860ミュンヘンの参加が内定しており、「同じ本拠地から2クラブは認めない」とするバイエルンにとっては理不尽な理由で退けられた。

 これで屈することはなかった。リーグ開幕に向けて他クラブが補強の資金づくりに奔走する中、「蚊帳の外」だったバイエルンは「それならばと」じっくり若手を育成。その中から生まれた若きゲルト・ミュラーやフランツ・ベッケンバウアーらを擁し、65年に満を持して1部昇格を果たした。

 当時の会長、ウィルヘルム・ノイデッカー氏が後に語った一文が併せて紹介されている。「もしあの時、参戦が却下されていなかったら、われわれはこのような発展を遂げていなかっただろう」

真骨頂の「反骨精神」

 こうした「反骨精神」こそが、バイエルンの真骨頂だ。99年の欧州チャンピオンズリーグ(CL)決勝。マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)に後半ロスタイムに追い付かれ、さらに直後、勝ち越しを許して敗れた。このどん底からはい上がり、悪夢を振り払うようにその2年後、CLの優勝カップを掲げた。

 2012年には地元ミュンヘンでのチェルシー(イングランド)とのCL決勝で終盤に先制しながら、終了直前に同点とされ、PK戦の末に涙をのんだ。悪夢再びだったが、その翌年にドイツ勢として史上初となる「トリプル」(国内のリーグ戦とカップ戦、CLの3冠)を達成した。

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