政治的混乱が続く香港に対し、中国が軍事介入して反政府勢力を武力弾圧するのではないかとの見方が出ている。人民武装警察(武警)の大部隊が香港と接する深セン(広東省)に集結し、中国政府が「香港政府に制御できない動乱が起きれば、中央は座視しない」と強く警告しているためだ。しかし、改革・開放を進める中国の国情・国力や国際金融センターとしての香港の重要性からみて、軍事介入のハードルは極めて高い。
部隊集結場所の意味
治安維持を担う軍隊である武警の部隊が集まっているのは、日本人など外国人の居住者が多い深セン市南山区の大型競技場、深セン湾スポーツセンター。香港との往来で通る深セン湾出入境管理施設から約1キロしか離れていない。
この施設は深セン・香港の境界線にある出入境管理施設の中で唯一、出境と入境の手続きを同じ建物の中で行うことが可能。深セン市内に位置するが、施設の半分は一国二制度の特例として香港政府の管理下にある租界のようなエリアになっており、香港住民はバスやタクシーで海上の深セン湾大橋を通って自由に立ち入ることができる。
つまり、武警の大部隊は香港住民の活動区域から目と鼻の先の場所に集結したわけだ。わざと目立つ場所に展開して、香港側を威嚇する狙いがあるとみられる。人工衛星による撮影を避ける措置を取らず、外国メディアによる撮影も厳しく取り締まっていないのも、部隊集結を「宣伝」させるためとみられる。
ただ、ここから香港域内へ進入するには、全長5.5キロの橋を渡らなければならない。一般的に言って、地上部隊の移動はなるべく橋を避ける。橋が破壊されたり封鎖されたりすれば、前進できなくなるからだ。香港の反政府派に巨大な深セン湾大橋を爆破することができるとは思えないが、大勢の活動家が橋の上に座り込めば、彼らを大量に殺傷しない限り橋の通行は不可能になる。
香港が英国から中国へ返還された1997年7月1日の未明、人民解放軍の地上部隊は南山区の東方に位置する福田区の皇崗を通って香港に進駐した。ここは川幅の狭い深セン河を渡るだけなので、長い海上橋を渡るようなリスクはない。
つまり、深センから部隊が香港に進入する場合、皇崗を通るのが常道なのだ。武警の大部隊がわざわざ深セン湾大橋付近に集結したことから、少なくともこの部隊が直接、香港に入る計画はないと考えてよいだろう。
「特別扱い」見直しも
では、約6000人といわれる解放軍香港駐留部隊の治安出動はないのか。中国国務院香港マカオ事務弁公室の報道官は9月3日の記者会見で「駐留部隊の出動は一国二制度の終わりを意味するという見方は全くの間違いだ」と強調した。確かに理論上は、香港政府から中国政府への要請などに基づく治安出動は可能である。
しかし、中国政府がいくら「香港問題は中国の内政」と言い張っても、国際金融センターとしての香港の存在は、実際には諸外国、特に米国の一国二制度容認を基礎としている。香港基本法があっても、経済的影響力の大きい米国など関係各国が香港を中国本土の深センや上海と同一視すれば、一国二制度は事実上成り立たない。
米国は、香港が一国二制度下で社会主義体制の中国本土と異なる資本主義体制を維持し、「高度な自治」を享受していることを前提に、香港を本土と別の経済実体として扱っている。これにより、香港は資本主義の国際都市として、投資、貿易などの対外取引・交流が活発な環境を保っている。本土とは別に、外国と経済協定を結ぶことも可能だ。
しかし、「中国化」に対する反発から香港の政治的混乱が続く中、米議会は「香港に十分な自治が存在するのかどうかを再評価すべきだ」(ペロシ下院議長)として、新たな立法に動いている。中国が「内政だから」「国内法の根拠があるから」と主張して、香港に軍事介入した場合、米国は香港の扱いを見直す可能性がある。
万が一、1989年に北京で起きた天安門事件のような流血の事態になって、米側が「香港の自治は完全に失われた」と判断すれば、香港は今のような「特別扱い」をされなくなり、アジアの代表的な国際金融センターとしての機能を減じる、もしくは喪失する事態もあり得る。
本土に代替都市なし
「中国は天安門事件当時と比べて大きく国力を増しているので、香港に軍事介入した結果、外国から制裁を受けても大したことはない」という見方もあるが、そうだろうか。
中国の経済規模は日本を抜いて世界2位となったものの、1人当たり国内総生産(GDP)など経済発展レベルを示す数値はまだ低く、先進諸国に遠く及ばない。米国のような超大国になったわけではないのだ。また、改革・開放を長年進めた結果、対外経済関係が深まっており、外部からの圧力・制裁の国内経済に対する影響は30年前よりはるかに大きくなっている。
香港GDPの対中国本土比率が非常に小さくなったことから、香港の重要性が低下したという説があるが、そもそも、香港と本土のGDPを比較するのは、東京と米国全体のGDPを比べるようなもので、意味がない。本土の主要都市である上海、北京、深センはそれぞれ、GDP規模で香港を超えたが、それは上海などの人口が多いためで、1人当たりGDPは先進国レベルの香港よりはるかに小さい。
最も重要なことは、中国の改革・開放は人民元の国際化、国内企業の海外資金調達など金融分野で香港への依存を強めているという事実だ。30年前の中国はまだ金融体制改革に踏み込む段階でなかったが、今は金融こそが経済改革の主要課題になっている。一国二制度の有名無実化で香港の国際金融センターとしての機能が低下すれば、中国の改革・開放路線は大打撃を受ける恐れがある。
国際金融センターは法治徹底と情報流通の自由保障を必要とするので、一党独裁体制下の上海や深センが近い将来、金融面で香港に取って代わる事態は考えにくい。習近平国家主席がいかに保守的で、自国の経済力に過大な自信を持っていたとしても、「香港が軍事介入でダメになっても、本土に上海があるので構わない」などと判断することはないだろう。
李克強首相は9月6日、訪中したメルケル・ドイツ首相との共同記者会見で、最近の香港情勢について中国指導部メンバーとして初めてコメントした。中国政府の対応を問われた李氏は「香港政府が法律に依拠して暴力を止め、混乱を収拾し、秩序を回復することを支持する」と答えたが、軍事介入を示唆して香港の反政府派を威嚇する発言はなかった。(2019年9月18日配信/解説委員・西村哲也)
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