1988年にソウルで開催されたオリンピック(五輪)夏季大会の競泳男子100メートル背泳ぎで優勝し、日本水泳界に16年ぶりの金メダルをもたらした鈴木大地選手(当時順天堂大)。2015年に創設されたスポーツ庁の初代長官に就任した。現役引退後に「自分は本当の世界一だったのか」と自問自答し、現在は国際水泳連盟(FINA)理事としても、開発途上国の選手たちが世界の舞台に登場できる環境づくりに尽力している。長官就任から4年を経て、ソウル五輪時代のことや長官として今思うことなど、さまざまに語ってもらった。
◇バサロキックの回数増やし逆転勝利
―1984年のロサンゼルス五輪に出場して世界の壁の高さを実感し、筋力トレーニングに本格的に取り組み、同時に自身の長所を伸ばすことに取り組みましたが、ソウル五輪を前に腰痛に苦しみ、選手生活からの引退も考えた時期があったそうですが。
医者からも「やめた方がいい」と何度も言われましたが、結果的に続けてよかった。当時は今のように(日常的に)トレーナーがいるような時代ではなかったので、自分で試行錯誤して乗り切るしかありませんでした。しんどいと思ったときもあったかもしれませんが、自分の目標の到達を求め、好きでやっていたことだから続けられたのだと思います。(国際大会で)外国人と交流していろんなやりとりをすることが面白かったし、真の友情を得るためにやっていました。ソウル五輪で1位になって、ライバルたちが寄ってきてくれて祝福してくれました。もし私が3位、4位であっても同じように祝福したでしょう。とても貴いことだと思います。
―ソウル五輪の話では、水泳界で今も語り草になっていることがあります。午前の予選ではトップのデビッド・バーコフ(米国)に1秒39の差をつけられ3位。同じレース展開ではまず勝てない。そこで、バタフライのドルフィンキックを裏返しにしたキックで水中を前進する「バサロ泳法」のキック数を増やす作戦を立て、その通りに実行し、残り5メートルでほぼ並び、タッチの差で逆転の1位に。見事に作戦が奏功するわけですが、戦略はいつ決めたのですか。
予選が終わって決めました。報道陣に午後の作戦を聞かれ、「ないしょ」と答えましたが。予選のキック数は21回で、水上に浮上するのはスタートから25メートル。午後のキックの数で鈴木陽二コーチからは25回と言われましたが、私は「27回やります」と言いました。決勝で浮上したのは30メートル。バーコフ選手は慌てたはずです。この話、若い人にはピンと来ないかもしれませんが。
―鈴木選手の金メダルで日本の水泳界の意識も変わりました。4年後のバルセロナ五輪女子200メートル平泳ぎで岩崎恭子さんが金メダル、その後2004年アテネ五輪の男子平泳ぎ2種目を制した北島康介さん、女子800メートル自由形で金メダルの柴田亜衣さんらメダリストが続くことになりました。
当時は日本人が水泳で金メダルを獲得するのは不可能と思われていましたが、私の結果を見て不可能じゃないと思って、みんながやってくれるきっかけになったとしたら、うれしいですね。今ではみんな金メダルを目標にやっていますので、意識は変わりました。人間は目標を立てると、それを超えようとする。そういう意識で練習していることが、今の日本の強さにつながっているのではないかと思います。
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