プロ野球阪神の原口文仁捕手(27)が、激動の2019年シーズンを過ごした。1月に大腸がんが判明して手術。不屈の闘志で大病を乗り越え、6月に1軍復帰を果たす。マイナビオールスターゲームにセ、パ両リーグ最後の一人となる「プラスワン投票」で選ばれ、2戦連続本塁打と大活躍。阪神ファンだけでなく、病と闘う全国の人たちに勇気と感動を与え、11月にはセ・リーグ特別賞を受賞した。原口にとって忘れられない一年を、自身の言葉とともに振り返った。(時事通信大阪支社編集部 西村卓真)
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11月24日。原口は兵庫県西宮市の球団事務所で報道陣に対し、シーズン中には語ることがなかった病状の詳細などを説明した。約30分。終始穏やかな表情で、明るい語り口だった。
19年の早々に人間ドックを受診した直後、がんを宣告された。当初は頭が真っ白になったというが、復帰に向け気持ちを切り替え、すぐに練習を再開した。
「例年と変わりなく自主トレをして、キャンプに行くつもりで練習もしていました」
自身のツイッターと球団を通じてがんを公表したのは1月24日。その2日後に手術を受けた。
「見つかった時は先生も早期発見ではないかという話でしたが、術後の検査などでステージは3bと伝えられました」
がんの進行度合いは5段階に分かれていて、発見が早いほど治療がしやすいとされている。ステージ3はリンパ節に転移するレベルで、上から2番目に重い。退院後の2月上旬から抗がん剤治療を開始。錠剤を4週間服用し、2週間休むサイクルを計4度続けたという。
「(抗がん剤の副作用で)体調が優れない日も首脳陣やトレーナーの方に練習内容を配慮していただき、万全にプレーできる環境をつくっていただいて本当に感謝しかないです」
服用を続ける中、6月3日に1軍合流。抗がん剤治療最終日となった7月9日は、オールスターゲームの「プラスワン投票」結果発表と重なった。自身3年ぶりとなる夢の球宴だ。
「ダブルでうれしかった。その時は皆さんに言えなかったのですが、そういう気持ちはありました」
11月21日に小児がん患者と家族を支援する神戸市の施設「チャイルド・ケモ・ハウス」を訪問。チャリティーグッズの収益に自身の寄付を加えた100万円を贈呈した。重い病気と闘う子どもたちとキャッチボールなどで交流し、勇気づけられた。施設の院長、楠木重範さんのアドバイスもあり、3日後、報道陣に対する説明会を設けた。
「最初に公表した時、僕は(それが)使命と言いながら詳細を話していなかった。病気で苦しんでいる人にこれだけやれると伝えたかったし、治療しながら仕事に復帰できるとか、スポーツをやれる。そういうことを伝えられたらという思いで(説明会で詳しく)発表しようと考えました」
◆説明会でにじむ人柄◆
「深刻な話ではないので、ポップな感じで聞いてくださいね」
「暗いイメージではなく、明るい材料で使ってほしいというのが僕の気持ち。(病気と)闘っている人たちに『僕も、私もやれるのでは』と思ってもらえることが発表の意味だと思います」
原口が球団事務所での説明会で述べた言葉だ。人気球団の阪神では、日々熱狂的なファンに叱咤(しった)激励されながら、プレー以外にメディア対応もこなさなければならない。プロの責務だが、阪神の担当記者、いわゆる「トラ番」は桁外れに多い。常に注目を浴びるために殻にこもってしまう選手もいる中、原口はメディアと友好的だ。負け試合の後は多くを語らないが、前を向いて淡々と話す。立ち止まって取材に応じる際は、目を見てはきはきとした口調で応える。声がかすれ気味の記者が質問すれば、「のど、大丈夫?」と気遣う。
大腸がんを公表した後、初めて公の場に姿を見せたのは3月7日。テレビ局のインタビューがあり、その後ペン記者による囲み取材が行われた。一段落した後、「きょうはお忙しい中、集まっていただきありがとうございました」。シーズン中も感謝の言葉を口にする姿を何度も目にする。あくまで自然に振る舞う。
今後も飾らない言葉で、メディアに情報を発信し続けるに違いない。米大リーグでは04年1月、全米野球記者協会ニューヨーク支部が、取材に協力的だった選手としてヤンキースの松井秀喜外野手に「グッドガイ賞」を贈った。もし日本で同様の賞があれば、原口は有力な候補になりそうだ。
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