プロ野球西武の秋山翔吾外野手(31)が今季取得した海外フリーエージェント(FA)権を行使し、米大リーグへの挑戦を表明した。2015年にシーズン216安打のプロ野球記録をつくった球界を代表するヒットメーカー。日本代表「侍ジャパン」の顔でもある。メジャーで活躍する田中将大投手(ヤンキース)らと同学年。自身の力を試すために主戦場を米国に移そうとしている。(時事通信運動部 小野田有希)
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行使を表明したのは10月29日。FA宣言が解禁されてから5日が経過していたが、熟慮の末の決断ではなく、心はシーズン中に決まっていた。この日を選んだのは、国際大会のプレミア12に向けて合宿中だった日本代表の練習試合などの日程を配慮したからだ。秋山は日本代表に人一倍熱い思いを抱く。日の丸を背負う重みと他球団のトップ選手との共闘が、自身を成長させてきた。「試合中だけでなく、食事中とか移動中とかのたわいもない(チームメートとの)話が、のちのち自分のプレーに生きる。どの場面でも、(良いところを)吸収できるタイミングになる」
12年の日本代表強化試合で、巨人の阿部慎之助捕手(現2軍監督)から同じ左打者としての助言を聞けた感激は、今も記憶に残っているという。今秋のプレミア12日本代表にも、大リーグ挑戦への障害となる故障のリスクを恐れずに参加。直前の強化試合で死球を受けて右足薬指を骨折したが、「プレー中のアクシデントだったので仕方ない」と後悔の念は一切口にしなかった。
芽生えた向上心
大リーグでプレーしたいという目標も、日本代表での経験を通じて芽生えた。幼稚園の頃、イチロー外野手(当時オリックス)がシーズン200安打を達成するのを見て、卒園文集に「いちろうみたいにひっとをうちたいです」(原文)と書いた。当然、イチローが海を渡って活躍する姿にも憧れたが、「全く現実的ではなく、プロ野球選手になりたいとしか思っていなかった」。
17年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)、18年の日米野球で大リーガーと試合をするうちに、考え方が変わっていった。「最高峰と言われるメジャーを意識した。どれくらい厳しい世界でやれるか知りたい、そこで活躍したいという思いが強くなった」。向上心が刺激された。
来季、東京五輪開催中に試合のある大リーグでプレーすれば、五輪出場は絶望的。日本代表への思い入れが強いだけに、渡米を1年先送りにする選択肢も頭にあっただろう。しかし、秋山はメジャー挑戦を選んだ。「五輪はスポーツをやっている人間にとって特別なものだとは、もちろん思う。けれど、こういうタイミングだし、年齢も年齢というのは分かっている」。来年4月に32歳となる。現役プレーヤーとして、一つ年を重ねれば成功へのハードルが高くなることを重視した。
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