ラグビーワールドカップ(W杯)で日本代表が初めて決勝トーナメント(8強)に進出した。
4強入りは逃したが、1次リーグの原動力となったのは「剛」の左ウイング福岡堅樹と「柔」の右ウイング松島幸太朗の「両翼」。
その爆発力から、高級スポーツカーをもじり「ダブル・フェラーリ」とも形容されている。
◇2人で9トライ
ロシアとの開幕戦を右ふくらはぎ痛で欠場した福岡は、途中出場した第2戦から3試合連続でトライを奪い、計4トライをマークした。
松島はロシア戦でハットトリック(3トライ)を記録するなどし、計5トライ。1次リーグのチーム合計13トライのうち、2人合わせて9トライの絶好調ぶりだった。
「日本ラグビーの歴史をつくる。そのためにすべてを捧げてきました」。10月13日のスコットランド戦(横浜)に勝利した後、福岡は声を張り上げた。
福岡にとって、このW杯は集大成といってよい。ラグビーを始めたのは5歳の時。祖父の勧めで福岡県下のラグビージュニアスクールに入った。
生来の負けん気と努力が運を呼び寄せてきた。福岡県立福岡高校の時には、全国高校大会に出場。大学の医学部を目指すも失敗し、1浪した後の2012年、筑波大の情報学群に合格した。筑波大を躍進させた。
◇1浪したことが幸い
高校時代、両膝の靭帯(じんたい)を損傷していたが、1浪したことがラグビー選手としては幸いした。以前、こう、漏らしたことがある。
「浪人中にけがをしっかり治すことができました。新鮮な気持ちでラグビーをやりたいなという気持ちにもなりました」
13年春、20歳で日本代表に抜てきされると、強靭(きょうじん)な足腰と瞬発力を生かして、トライを取りまくった。
50メートルを5秒台で走る。特に、ダッシュ力は天下一品だった。その年の秋の欧州遠征のスコットランド戦では2トライをマークし、衝撃を与えた。
◇4年前があったから
だが、15年の前回W杯では、唯一出場したスコットランド戦で大敗を喫した。今大会では、その因縁の相手から2トライを奪い、歴史的勝利に貢献した。
福岡は言った。
「ここで勝つための糧だった。4年前があったから、こういう結果になったのです」
「文武両道」を地で行く。医師だった祖父、父の影響から将来、医師を目指している。来年の東京五輪(7人制ラグビー)が終わったらラグビーをきっぱりやめ、医学の道に進むつもりだ。
このW杯がなかったらラグビーをやめていた、と27歳は打ち明けた。
◇同期の2人
同期の松島も、チャレンジングな人生を歩んできた。
1993年、ジンバブエ人の父と日本人の母の一人息子として、南アフリカで生まれた。父はジャーナリストだったという。
6歳の時、日本に移り、希代のフルバックに成長し、桐蔭学園高校ではチームを全国制覇に導いた。
高校卒業後、高いレベルを求めて生まれ故郷の南アフリカに渡り、スーパーラグビーのシャークスの育成クラブで「武者修行」した。日本の大学ではなく、「スーパーラグビーに挑戦したい」からだった。
松島は2013年、U20(20歳以下)南ア代表候補の合宿メンバーに選ばれたが、その招集には応じなかった。南ア代表として試合に出ると日本代表の資格を失う。「日本代表で強いチームに勝つためだった」
◇二つの「宝石」
松島はその年、秋の欧州遠征に招集され、日本選抜としてイングランドのクラブチームとの試合に出場した。翌14年春、日本代表初キャップ(国別代表戦出場)となった。
松島は、前回W杯で日本が番狂わせを演じた南アフリカ戦など4試合すべてに先発出場した。
それから4年。経験値も上がり、「周りを見ることがしっかりできるようになった」。リーダーグループの一人として、責任感も増した。
日本代表のスローガンは「ワンチーム」だ。確かに、ラグビーにヒーローはいない。だが、二つの「宝石」を得て、日本代表はひときわ光り輝いたのである。
(2019年11月配信/時事通信社「金融財政ビジネス」より)
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