新体操の世界選手権で、日本の団体が史上初めて金メダルに輝く快挙を成し遂げた。9月22日にアゼルバイジャンの首都バクーで行われた種目別ボール決勝。世界をけん引するロシアなど欧州の強豪国を破る価値ある勝利だった。種目別ではフープ・クラブでも銀。その前日、2020年東京五輪で実施される団体総合ではロシアに肉薄する銀メダルを獲得。代表チームの愛称「フェアリー(妖精)ジャパンPOLA」は、かつて夢物語に近かった世界の表彰台を堂々と争えるまでに成長した。強さの秘密は、抜本的な強化方針の転換と本場ロシアを拠点とした質の高い練習の継続にあった。(時事通信ロンドン特派員 長谷部良太)
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新体操は1984年ロサンゼルス五輪から個人総合が始まり、団体は96年アトランタ五輪から実施されている。日本は00年シドニー五輪で団体総合5位に入ったが、世界との差はじりじりと広がり、04年アテネ五輪で団体出場枠を逃す。危機感を募らせた日本体操協会は改革を決断。その責任者を任されたのが、現在も現場を統括する山崎浩子強化本部長(59)だ。
84年ロス五輪で個人総合8位入賞の実績を持つ山崎本部長は、所属クラブ単位でばらばらだった選手強化を改めた。手足が長い欧州勢のダイナミックな演技に対抗できるよう、実績を度外視し、プロポーションや柔軟性を重視した選考基準を設定。時には自身の直感を頼りにすることもあったという。メンバーは千葉市内で共同生活を送りながら練習時間をしっかりと確保し、懸命に世界に追い付こうと努力した。その結果、08年北京五輪の出場枠を無事に獲得し、本番では10位。好成績とは言えなかったものの、山崎本部長による直訴も実り、日本体操協会は強化方針の継続を決めた。
09年末から始まったロシア留学が、強化のスピードを加速させた。代表チームは千葉から「芸術の街」サンクトペテルブルクに拠点を移し、ロシア代表の練習も見て学びながら切磋琢磨(せっさたくま)した。長い期間の中で代替わりを繰り返し、田中琴乃、畠山愛理らが主将のバトンを手渡しながら、新たなメンバーにノウハウを継承した。ロシア人のインナ・ビストロワ・コーチの厳しい指導で地力を増していった日本は12年ロンドン五輪で決勝に進み、7位入賞。16年リオデジャネイロ五輪でも8位に入った。
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