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ベイカー茉秋、完全復活へ一歩 手術、負傷乗り越え五輪連覇「諦めない」

リオ五輪後に右肩手術

 2016年リオデジャネイロ五輪柔道男子90キロ級金メダリスト、ベイカー茉秋(日本中央競馬会)が実感を込めて話した。「長いトンネルを抜けた」。7月にカナダで行われたグランプリ(GP)モントリオール大会を制し、帰国した時の感想だ。国際大会ではリオ五輪以来、約3年ぶりとなる優勝。リオで栄冠に輝いた後、苦境の日々を過ごしてきた24歳は「やってきたことは間違っていなかったと証明できた」。来年に迫る東京五輪に向けた完全復活へ、力強い一歩を踏み出した。(時事通信運動部・岩尾哲大)

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 海外勢の壁が厚かった男子90キロ級で、日本勢初の五輪金メダルを獲得した。次の20年東京五輪へ、再出発しようとしていた矢先の17年4月。アクシデントに見舞われる。全日本選抜体重別選手権で、右肩を脱臼してしまった。

 右肩はもともと、亜脱臼を繰り返していた。「8、9回ぐらい」といい、その中にリオ五輪前の16年5月、世界ランキング上位者で争われたワールド・マスターズ中のけがもあった。その際は、五輪で同じ状況になった場合も想定して出場を続けて優勝。金メダルへの弾みになった。

 しかし、17年4月の脱臼は初めての完全脱臼。実績を考慮されて17年世界選手権代表候補に選ばれたものの、辞退して手術を受けた。すぐに退院できたが、日常生活で何度も激痛が走る日々。「車の揺れだけでもうずく。ベッドに横になるにも、起き上がるにも5分、10分かかった」。約半年後に稽古に復帰する頃には体重が82キロほどまで減り、まずは中学生と手合わせ。「自分の肩ではない感覚」はなかなか拭えなかった。

 それでも、翌18年2月のグランドスラム(GS)デュッセルドルフ大会で実戦に戻ると、いきなり2位。4月の選抜体重別でも準優勝し、夏のジャカルタ・アジア大会代表に選ばれた。しかし、調整段階で腰、左胸付近のけがが続き、アジア大会は3位。11月の講道館杯全日本体重別選手権を制して復調の兆しを見せたが、同月のGS大阪大会では3回戦敗退。さらに今年の年明けには右太もも裏の肉離れを発症した。

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