米四大プロスポーツの一つ、北米アイスホッケーリーグ(NHL)でプレーした日本出身のフォワード(FW)は、まだいない。日本代表の平野裕志朗は昨季、北米で2部のアメリカン・ホッケー・リーグ(AHL)で1試合プレーした。3部相当のリーグで競争をくぐり抜け、NHLの名門ピッツバーグ・ペンギンズ傘下の2部のチームから最終戦でコールアップ。アイスホッケーの世界で23歳は決して若くないが、最高峰のNHLへつながる細い糸に食らいついている。(時事通信運動部・和田隆文)
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平野は北米リーグに本格参戦した昨季、3部に相当するECHLのウィーリング・ネイラーズでチーム2位の57ポイント(19ゴール、38アシスト)を挙げた。1月にはAHLのウィルクスバリ・スクラントン(WBS)ペンギンズと契約し、4月の最終戦で昇格。1アシストを決めて爪痕を残したその1試合を「これからの自分にとって大きな意味を持ってくる」と振り返った。そこに立てたからこそ得た手応えと、体感した壁―。1シーズン、荒波を乗り越えたかいはあった。
月曜の電話は危ない
のるかそるか、の日々。ECHLのネイラーズでは月曜に電話が鳴ったら、危ない。契約は週単位で「日曜までは保証されるけど、いつ切られるか分からない」という世界だった。アウェーで迎えたシーズン開幕戦はビザが間に合わず、ホーム初戦の2戦目、いきなりベンチ外を告げられた。その後の2試合は出場したが5戦目でまた外された。初めてのポイントは「7戦目くらい」でのアシスト。解雇やトレードと隣り合わせの瀬戸際へと追い込まれて、「自分を捨てる」と決めた。
1対1で間合いをつくって敵を引きつけ、フェイントでかわしてシュートに持ち込むのが自身のスタイルだが、ネイラーズの戦術は「とにかく速く」だった。パックを相手陣内に放り込んでプレッシャーをかけ、ミスを誘ってチャンスをつくるのが戦術。プライドやもどかしさ、それら全てをのみ込んで「ロボットになった」。監督、チームが求めるものを黙々とこなし、生き残った。結果が出始めてからは「日本人の優しさを出さず、自分中心で生きた」。サバイバルのすべを学んだ。
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