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平成スポーツ回顧 新しい波、変革の30年

女子パワー、一躍世界へ

◇男子しのぎ五輪をリード

 1928年アムステルダム五輪の陸上女子800メートルで人見絹枝が銀メダルを獲得した。人見は日本女子初の五輪出場選手だ。それが昭和初期。70年以上が過ぎ、平成が16年目を迎えた2004年アテネ五輪で、日本選手団のうち女子の数が初めて男子を上回った。女子選手は平成に入って次々と世界トップに躍進し、金メダルの数も急増。男子をしのいで五輪をリードするようになった。

 昭和の時代、女子の五輪金メダルは個人種目で競泳の2人。「前畑頑張れ」で知られる36年ベルリン大会の前畑秀子と72年ミュンヘン大会の青木まゆみ。球技はバレーボールが「東洋の魔女」の64年東京大会、76年モントリオール大会で頂点に。女子の参加が少ない時期が長く続き、男子のみの実施競技もあったため短絡的に捉えられないが、人見に始まる約60年間で金メダルは4個だった。

 女子で平成最初の金メダリストは、92年バルセロナ五輪競泳200メートル平泳ぎを14歳で制した岩崎恭子。96年アトランタ五輪柔道61キロ級で恵本裕子、00年シドニー五輪はマラソンの高橋尚子と柔道48キロ級の田村亮子が金。シドニーでは日本のメダル総数18個のうち、実に13個を女子がもたらした。

 進境著しい日本女子に新たなパワーが醸成。アテネ五輪から実施された女子のレスリングだ。過去の世界選手権で強さを誇った土壌があり、日本協会の福田富昭専務理事(現会長)は同五輪の3年ほど前に「金メダル有望種目になる」と力説。激しい五輪切符争いを制した吉田沙保里と伊調馨は実力通りに金。そこから吉田が3連覇、伊調は4連覇して隆盛を築いた。

 アテネ五輪で日本が獲得した金メダル16個中、女子が9個。以降、16年リオデジャネイロ五輪まで女子の金が過半数を占めた。平成最後の18年平昌冬季五輪でも、金4個のうち女子が3個。平成の時代、夏季五輪で女子の金メダルは29個に上り、昭和では取れなかった冬季の金も5個あった。(2019年4月19日配信)

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