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平成スポーツ回顧 新しい波、変革の30年

かつてマイナー、今は光

◇競技振興、幅広く多様に

 平成の後期になって、かつては「マイナースポーツ」とされて脚光を浴びる機会が少なかった競技にも光が当たるようになった。注目選手の登場によって知名度が上がり、五輪でメダルを獲得すれば不動の人気が確立する。複数の競技が、そんな位置付けに変わった。

 五輪で日本初のメダルをもたらす効果は、その競技にとって絶大。成長と振興が一段と促進する。最近ではフェンシングが代表的だ。2008年北京五輪で、男子フルーレ個人の太田雄貴が銀メダルを獲得。日本フェンシング界待望のメダルによって強化が進み、続く12年ロンドン五輪でも団体銀メダルにつながった。

 16年リオデジャネイロ五輪ではカヌー界に朗報が届いた。スラローム男子カナディアンシングルで羽根田卓也が銅メダルをつかみ、日本勢初のメダリストに。五輪後は「ハネタク」の愛称も定着。国内大会での観戦希望者が相次ぐ現象も起きた。

 昭和最後の1988年ソウル五輪から実施競技に加わった卓球。古くは「卓球ニッポン」として世界で地位を築いた伝統を持つが、近年注目を集めるようになった大きな要因は福原愛の存在だ。幼少期から「泣き虫愛ちゃん」として親しまれ、やがて卓球界のヒロインとなった。そしてロンドン五輪の女子団体で日本勢初のメダルとなる銀に導き、リオ五輪でも同種目の銅メダルに貢献した。

 バドミントンはロンドン五輪で女子ダブルスの藤井瑞希、垣岩令佳組が日本選手初メダルとなる銀、リオ五輪では同じ種目の高橋礼華、松友美佐紀組が金メダルの快挙を達成した。五輪の連続メダルは裾野の拡大にも寄与している。日本協会によると、会員登録数は右肩上がり。17年度は約30万人となり、平成初期の3倍近くに膨れ上がった。

 冬季競技では記憶に新しい18年平昌五輪のカーリング女子。男女を通じ初の銅メダルに日本中が沸き、「もぐもぐタイム」や「そだねー」が流行語になるほど。競技力の多様化を象徴している。(2019年4月18日配信)

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◆写真特集 平成の記憶◆

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