◇球界再編、パに勢い
昭和を象徴するスポーツ、プロ野球の人気は平成に入って徐々に低下。Jリーグなど他競技の発展に加え、球界ではドラフトの裏金問題などの影響や野茂英雄、イチローら人気選手の米大リーグ挑戦もプロ野球離れの一因となった。最大の危機は、史上初のストライキにつながった2004年の球界再編騒動だった。
オリックスと近鉄の合併が判明し、1リーグ10球団構想が浮上した。結局、ロッテとダイエーの「もう一つの合併」は実現せず、セ・リーグ6球団、パ・リーグ5球団の方向になったが、労組選手会は12球団維持を求めて猛反発。9月のスト決行はファンに支持された。保科求己パ・リーグ統括は「パ・リーグはなくならない、大丈夫という先輩もいたが、どうなってしまうのかと不安ばかり」と当時を振り返る。
再編騒動明けの05年、活性化につながる布石が打たれた。楽天が仙台を本拠地に球界参入。さらに平成最初の1989年から福岡を拠点に戦っていたダイエーを買収したソフトバンクが始動。これに先立つ04年には、日本ハムが北海道に移転した。保科氏は「昔は関西に3球団あったが、北海道、九州、仙台にも球団ができ、理想的な形になった」と話す。各球団は地域密着を掲げてファンサービスの充実に取り組み、地元の地方球場でも積極的に試合を開催した。
球団経営は親会社の宣伝と考え、赤字覚悟だった風潮にも変化が。例えば、ロッテは千葉市が所有する千葉マリンスタジアムの指定管理者となって収益の改善に着手。18年に初の黒字を達成した。
05年開始の交流戦では毎年のようにパが勝ち越し、同年以降の日本シリーズもセが制したのは3度とパの優位が際立つ。
00年には日本シリーズで「ON対決」が実現した。巨人の黄金時代を支えた王貞治監督がパの「顔」としてダイエーを率い、巨人の長嶋茂雄監督と対戦。平成は、「人気のセ、実力のパ」の構図が変化した時代となった。(2019年4月18日配信)
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