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【怒れるガバナンス】みんなで走ればうつも飛んで行くんやで

三つのステップ

 〔受容〕

 こちらから悩みを聞き出すのではなく本人が相談しに来たら、いつでも、それに応ずる姿勢を示すこと。

 それはいつも後方に「寄り添う」ことであり、むしろ彼らの視界に入っていない方が良い。

 でも、何か困りごとが発生したらこの人は必ず相談に乗ってくれるんだ、振り返ればいつもそこにいてくれるんだ、という安心感を与えることが受容の本質である。

 だから、毎回毎回みん風に参加してくれなくてもよい。むしろ、調子が良いときは忘れてくれてもよいのだ。

 でも、いったん不安や悩みが生じたら、必ず毎月実施しているみん風はそこにある。「変わらぬメンバーが、にこやかに迎えてくれる」。その受容されている感覚が人を強くする。

 いつもいつも視界に入っているというのは、むしろ健康な人にとっては「うざったい」のかもしれない。そういう思想でみん風運営に当たることが、運営側の心の安定に重要である。

 〔傾聴〕

 相談事にはYES/NOで答えてはならない。カウンセリングと人生相談の最大の違いがここにある。人生相談は、離婚しなさい/我慢しなさい、を明確に指示する。カウンセリングは、ひたすら聴くにとどめる。指図せずにひたすら聴く技術である。

 人は受容されて、聴いてもらえるだけで心が落ち着いてくるものだ。誰からも受容されず誰も聴いてくれないと、人は孤立感が高まって不安になる。いったん心が平穏になってくれば、離婚する/我慢する、の回答はおのずと見えてくるのだ。

 むしろ、元々自分の中に結論はあると言っても過言ではない。でも、自己決定する勇気がなく不安にさいなまれて、人にYES/NOで聴いているだけなのだろう。

 クライアントが、自己責任で自己決定できるように、本人の心を落ち着かせることが、私たちの目指すところなのである。運営スタッフは、その技術を常に意識しながらクライアントさんと走っている。

 〔共感〕

 ただ単に、スタッフからいきなり「そうだね~」「分かるよ~」と言われたって、うわべだけな印象が拭えない。

 「スタッフさんは皆さん社会的に立派で成功した人たちだから、この私の気持ちをそんな安易に『分かる』なんて言われたくない」「上から目線の同情なんて要らない」と反発を食うだけである。

 お互いにお互いの気持ちを分かり合い、共感し合うには何が必要か? それは「同じ目線」だ。

 相手の視界に無理やり入り込むのではなく、いつでも後方に控え、つらい時にはいつでもそこにいてくれる安心感。相談すればひたすら話を聴いてくれて、妙な指図や成功者の人生論を聴かされることもない。

 この会に参加して一緒に走っていると、みんな苦しそうに走っていたり、苦しそうにストレッチしていたりして、屋外で同じおにぎりを食べていたり、何だか同じ目線で話し合えているなあ、この人達は自分の苦しみや悩みを分かってくれているんだなあ、と感じるようになる。この流れによってのみ、両者の共感の境地に至れるのである。

 共感してくれる人がいると、人は心が強くなる。結局、人は一人では生きていけないものだ。精神的に弱い人というのは、周囲にこのような支援してくれるリソースがない人、少ない人。または、そのようなリソースがあるにもかかわらず、自分の性格的な理由で、うまくリソースを使うことができない人たちなのである。

 みん風は、そのような人たちのリソースになり、そのリソースを使うことが上手ではない人たちに対して、私たちのみん風利用の敷居を下げて、みん風を使いやすくする。そういう努力をすることが、広く共感を得て人を支えていくために大事なのだろう。

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