米大リーグに投打の二刀流で挑んだエンゼルスの大谷翔平投手が2018年10月、右肘の内側側副靱帯(じんたい)再建手術を受けた。通称トミー・ジョン手術。プロ野球の投手にとって肘痛は一種の職業病とも言えるだけに、今では日米で多くの投手がこの手術によって復帰している。
30年前の1988年。ヤクルトの投手として活躍していた荒木大輔氏は、右肘痛に襲われ、まだ日本の投手で事例がまれだったトミー・ジョン手術に救いを求めた。ほとんど手探り状態でリハビリをしていた結果、翌年に痛みが再発して2度目の手術。紆余(うよ)曲折を経て、4年後の92年にマウンドへの復帰を果たした。当時の経験を振り返ってもらい、大谷投手の二刀流復活への期待感などを聞いた。(時事通信運動部・小松泰樹)
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1980年夏の全国高校野球選手権大会。当時は東東京代表だった早稲田実を準優勝に導いた1年生右腕、荒木大輔投手が甲子園を沸かせた。「大ちゃんフィーバー」は全国に波及し、その年は新生男児の多くに大輔の名が授けられた。松坂大輔投手もその一人とされている。
荒木投手は高校3年間で甲子園に5度出場し、ドラフト1位で83年にヤクルトに入団。3年目に6勝、4年目に8勝、5年目は初めて2桁の10勝を挙げた。エースとなるべく迎えた6年目、88年のシーズン中に右肘を痛め、投げられなくなった。
「プロ入りしてからずっと、何ともなく過ごしてきました。高校から入ったばかりの年は肘が痛いこともありましたが、それはまだプロとしてのスタミナがなかったからでしょう。88年は5月6日の阪神戦(甲子園)で完投して3勝目。その後も先発していました」
「その頃、ローテーションの調整は登板翌日がノースローでジョグ。2日目は休養、3日目にキャッチボールをして4日目はブルペン…という流れだったのですが、キャッチボールがいつも通りにできなくなりました。腕がパンパン。固まってしまったような状態でしたね」
先発登板を飛ばすなどして医師を訪ねた。しかし、原因をはっきりと言ってもらえず、たらい回し状態に。「疲労性から来る痛みでしょう」程度の診断だったという。
「1カ月、2カ月と症状が改善しないので、球団に相談しました。ロッテの村田兆治投手が米国で肘の手術を受けたことは知っていました。フランク・ジョーブ博士の執刀で。駄目でもともと、ジョーブさんを紹介してください、という懇願でした」
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