阿部が脚光を浴びたのは、兵庫・神港学園高2年だった14年11月の講道館杯全日本体重別選手権。男子史上最年少の17歳2カ月で優勝し、翌月のグランドスラム(GS)東京大会も制し、16年リオデジャネイロ五輪出場への視界が開けた。
当時から技の切れ、威力は一級品。しかし10代の若武者に重圧がのし掛かってその後失速した。リオへの切符をつかめず、今でも「すごく悔しい思いをした」と振り返ることがある。五輪を逃した挫折が、次の五輪への覚悟をより強くした。大舞台まで2年となった今、「東京五輪に目標を置いてやるだけ」と言い切る。
世界一に輝いた後も、昨年12月のGS東京大会、今年3月のGSエカテリンブルク大会で優勝。しかしライバルからのマークが厳しくなったことを実感し、「すごくやりにくさを感じた」。内容のレベルアップを図り、新技の習得や足技、寝技の強化に励み、貪欲に進化を目指している。「研究されている中でも、一本を取りにいく柔道をできるかが大事」。攻撃柔道を貫く姿勢はぶれない。
大きな夢がある。尊敬する野村忠宏さんが男子60キロ級で成し遂げた五輪3連覇を超える4連覇。「まずは東京五輪で優勝しないと、それも始まらない」。2年後はゴールではない。壮大なチャレンジの第一歩にしようと阿部は思っている。(2018年7月21日配信)
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