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ヤクルト史上最高の右腕・松岡弘さんが語る1978年

ユマキャンプで基本に返る

 2018年は、プロ野球でヤクルト・スワローズが球団史上初のセ・リーグ優勝を遂げ、初の日本一となってからちょうど40年の節目に当たる。1950年に国鉄スワローズとして結成され、長い低迷期を経てようやく頂点に立った。

 その原動力となったのが、エースの松岡弘さんだ。78年は43試合に登板し、16勝11敗2セーブをマークする大車輪の活躍。リーグ優勝でも日本シリーズでも胴上げ投手となり、沢村賞に選ばれた。

 ヤクルト一筋で通算191勝を挙げ、85年限りで引退した球団史上最高の右腕・松岡さんに、78年のシーズンを振り返ってもらった。(聞き手・時事ドットコム編集部 舟木隆典)

 ◇ ◇ ◇

 当時チームを率いたのは、76年シーズン途中にコーチから昇格した広岡達朗監督。前年の77年、史上最高の2位となった。78年のシーズン前には米アリゾナ州ユマで球団史上初の海外キャンプを張り、米大リーグのパドレスとの合同練習も行った。まだ、日本人が頻繁に大リーグ入りするようになる、はるか以前の時代。松岡さんは、このキャンプがチームに変革をもたらしたと振り返る。

 「海外でのキャンプは、雑音がないのでやりやすかった。メジャーも一緒にやる。メジャーの技術を間近で見て『俺たちの野球とはまったく違う、これでは世界に通用しない』と感じたよね。メジャーは細かいことをやる。それができないとメジャーの選手になれない。日本人も技術はうまいけど、向こうの選手は基本ができる。カバーリング、守備、投球。基本を忠実に守って、自分のものにして、それをアレンジしていく。できないと、『君たちは何をしているんだ』という顔をされる」

 「野球はやっぱり基本が大事だなというのを感じたし、キャンプが終わって、日本に帰って、ずっとそれをやっていた。その集大成が78年だったんじゃないかな。チームが、メジャーの技術、練習の方法、いろんなことを見て、すごく参考になったのは事実だよね」

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