◇「弱気」が招いたミス
心にさざ波が立ち、伝説的な延長二十五回の熱戦に幕を下ろす結果をもたらしてしまった。0-0の二十五回裏、守る明石中は無死満塁のピンチ。絶体絶命の局面で、二塁手の嘉藤栄吉選手に「弱気の虫」がうごめいた。
嘉藤選手の長男、弘之さん(73)が生前の父について語った。「最後の場面はこう話していました。『心の中で(打球が)来るな、来るなと思った。でも、精神的に一番弱い人間のところに来るものなんだ』。それを長く引きずったようです」
願いは通じず、ゴロが転がってきた。弘之さんの自宅に、あの試合の状況を克明に記した父の自筆メモが残されている。講演などの準備に自ら用意したらしい。二十五回裏の要旨は以下の通りだ。
無死満塁で内野陣が集まり、バックホーム態勢に。迎える右打者はそれまで引っ張り気味だったため、(嘉藤選手は)少し二塁ベース側に寄った。だが、ボテボテのゴロが一、二塁間のやや一塁寄りへ。「捕球する一瞬、三塁走者がホームへ突っ込んでいくのが目に入った。慌てて無我夢中で、不本意な握りのまま本塁に送球した」。メモは続く。「この一球が球史に残る悪送球となった」。一塁方向に浮いて、(伸び上がって)懸命に捕球した捕手の足がホームベースから離れた。「球審が二呼吸置いて両手を広げたと同時に、ごうという歓声とサイレンが響いた」
記録は二塁手の失策。ゴロをグラブに収めた後、ボールを握り損ねたまま投げてしまった。直前の邪念が影響したミス。嘉藤選手は心中にトゲが刺さったかのように、悔恨の念にさいなまれる。
当時の旧制中学は5年制。2年から不動のレギュラーで、3年春の選抜大会で2年連続準優勝。そして迎えた嘉藤選手3年夏の出来事だった。弘之さんは言う。「猛練習を積んでいたはずなのに、あの時は守っていて、さあ来い、という意欲が湧かなかったそうです。『もっと練習していたら、(自信のなさを)克服できたのに』と悔やんでいました」
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