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延長二十五回、明石中は今 100回目の全国高校野球

高石監督「不思議な縁」

 ◇息づく伝統、古豪復活期す

 延長二十五回を戦った大先輩をたたえる「善闘記念碑」が、明石のグラウンド脇に建つ。建立は試合の翌年。80年以上にわたり、後輩の練習を見守っているかのようだ。

 記念碑には盛り塩のような施しも。「女子マネジャーがいつも、塩をきちんと置いてくれている。私も折を見て清掃している」と高石監督。選手たちは練習の前後に必ず、碑の前で一礼する。

 善闘の相手校、中京大中京を卒業した高石監督は「不思議な縁を感じる」と、しみじみと話す。戦前、高校野球史に残る名勝負を演じた両校の野球部に関わるのは、運命的な巡り合わせに他ならない。

 神戸市出身。中学生だった1995年、阪神大震災の後に父親の転勤に伴って関西を離れ、愛知県岩倉市に転居。ボーイズリーグで左腕投手として鳴らし、高校は屈指の名門、中京大中京へ。だが、入学後は思い通りに投球できないイップスの症状にも悩み、その後ベンチ入りはしたものの「うまくいかず、悔しい気持ちも残った」と振り返る。甲子園には出場できなかった。

 教師を目指し、広島大に進学。準硬式野球にも励んだ。大学院を経て2006年に故郷、兵庫県の高校の教員に。振り出しの洲本では野球部副部長を務め、「高校野球の監督になりたい、と思うようになった」。次の赴任先、三木で監督を5年。昨春、明石にやってきた。

 一時代を築いた古豪の復活は数十年来の期待だ。高校時代とは異なる立場で、伝統の重みを担う。監督就任以来、「自分たちで考える野球」をチームづくりの基軸に据えている。「私自身の高校での反省も踏まえて。もっと考えてやればよかった、と」。一方、中京大中京で得たものは伝統校のプライドだという。「試合になれば控え選手でも、絶対に負けないぞ、と強い意識を持っていた」

 87年夏を最後に甲子園から遠ざかっている明石。「いつか中京大中京と試合ができたら」。率直な願望を胸に、今も息づく伝統を継承していく。

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