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平成の怪物は「光栄」 プロ20年目、松坂大輔投手【平成インタビュー】

「松坂世代」嫌だった時期も

 超高校級投手として甲子園を沸かせて「平成の怪物」と呼ばれ、プロ20年目を迎えた中日の松坂大輔選手に平成の記憶を聞いた。

 ―「平成の怪物」と言われることについて、松坂選手自身の受け止め方を。

 当時、今言われている印象と違っていたと思います。最初は気に入っていなかったような…。今が気に入っているわけではないですけど。でも、その前に「怪物」というフレーズが付くのが江川(卓)さんだったので、同じようにフレーズが付くことに関しては、何か喜んでいたと思います。誰が言い出したんですかね。調べたら分かるんですかね(笑)。

 ―「松坂世代」という言葉もある。

 今年、何度も聞かれているんですが、本当に一番初めっていうのは高校野球で頂点に立てて、個人としてというよりチームとして立てて、結果的に僕の名前が付くことにつながって。最初はやっぱり「平成の怪物」と言われたのと一緒で、一番上に設定されたということに喜びはあったが、時間がたつにつれて、自己紹介とかで使う人もいれば、ひとくくりにされるのも嫌がる人も当然いるだろうなと思って、途中すごく嫌だなあとか、申し訳ないなあと思っている時期はありました。

 長く(プロ野球選手生活を)続けている間に、やっぱり「松坂世代」です、あいさつする時は使わせてもらってますとか、最近よく言われるんですが、そこで改めてまだまだ頑張らなくていけない、と思うようになりましたね。

 ―いわゆる「昭和55年会」。同学年に名選手が多い。ライバル心はあったか。

 ありましたね。僕は自分の年になって全国大会にも出て名前が出るようになったけど、同い年で1年生の時に騒がれた選手もいるし、2年生で騒がれた選手もいるし、そういう選手たちを見て、いずれは自分も、と思いながら練習してましたね。負けたくないと思って練習していました。

 ―東京都江東区出身の松坂選手が横浜高校へ進学した経緯を。

 知っている人は知っているんですが、僕は(当初は)帝京高校に行きたくて。帝京高校のユニホームが好きで。中学3年の夏休みに入るころは帝京に行くつもりでしたね。

 その後に中学の全日本代表に選ばれるんですが、そこでいずれ横浜高校でチームメートになるメンバーが何人かいて、「お前がいれば甲子園に出られるから、横浜高校に来いよ」と言われて。当時、僕はその(彼らがいた)チームに勝てなかったので、対戦して。全国的にも有名な選手たちだったので、こいつらが行くんだったら、それ(甲子園出場)も可能だろうなと。単純なんで。それだったら横浜高校に行こうかなと思ったのが(志望校を)変えたきっかけですね。

 ―松坂選手を横浜高校に誘ったのは。

 小池(正晃)、常盤(良太)、小山(良男)。小池と小山はプロに行きました。あと、浜松の後藤(武敏)も横浜高校へ来ることが決まっていて、すごいメンバーが集まるなあと。そのうちの一人に自分もなりたいと単純に思いました。その後もちろん、高校の練習を見に行ったり、グラウンドを見に行ったりして最終的には横浜高校に決めたんですけど。

 帝京高校からも誘いは来ていました。自分が行くと言えば、行ける状態でした。

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