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W杯2018 日本とロシア・3人の記憶

【横山謙三さん】60年代に恒例のソ連遠征

 東西冷戦のただ中にあった1960年代、旧ソ連が日本サッカーの強化に意外な形で貢献している。当時、日本代表はほぼ毎年、夏にソ連に遠征した。「日ソ・スポーツ交流協定」に基づくもので、資金難の日本にとっては願ってもない施策だった。

 協定では、互いに国内での旅費を負担し合うことになっていた。例えば船で日本海側のナホトカまで行けば、その後のソ連国内の移動費や宿泊費は無料。日本代表はこれを利用し、試合をしながらソ連を抜けて、西欧にも足を伸ばしていた。

 遠征を経験した元日本代表GKの横山謙三さんは「ナホトカからシベリア鉄道で移動すると、すごく時間がかかる。毎日景色も同じで」。食事にも苦労した。過酷な環境の中、試合にはあまり勝てなかった。

 当時のソ連は名GKヤシンの全盛期でワールドカップ(W杯)でも上位に入る強豪の一角だった。ソ連との交流開始前は、日本の対戦相手はアジア勢が中心。ソ連遠征中も、選抜やクラブチームとの試合だったが、「世界に強い相手がいることが分かって、目標値が立てられた」と横山さん。遠征に合わせ、66年W杯イングランド大会の準決勝と決勝も観戦している。

 64年東京五輪前の遠征では、日本がW杯ロシア大会でポーランド戦を行うボルゴグラードで試合をした記録がある。68年夏はソ連や旧西ドイツなどを転戦し1勝9敗。結果は残せなかったが、厳しい遠征でもまれたことがメキシコ五輪銅メダルにつながった。(2018年5月24日配信)

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