2002年6月9日は、日本サッカー界にとって歴史的な一日。横浜国際総合競技場で行われた日韓W杯1次リーグ。日本がW杯初勝利を挙げた、その相手がロシアだった。
「日本でW杯をやるチャンスが少ない中で、初勝利に貢献できた。名を刻めたと今の方が実感がある」と語るのは、1-0の試合で決勝点を決めた稲本潤一(現札幌)だ。
後半6分だった。中田浩の低いクロスを、柳沢(ともに当時鹿島)が直接前方にはたいた瞬間、ボランチの稲本がオフサイドと見間違うような位置に飛び込んでいた。
前線への飛び出しは持ち味だったが「(初戦の)ベルギー戦で点を取った勢いが、僕をあそこまで行かせた」。右足で浮かし気味に放ったシュートの感触は忘れない。
ベルギー戦は、稲本が一時勝ち越し点を決めたが2-2の引き分け。ロシア戦は、決勝トーナメント進出の道が開けるかという一戦だった。「(ロシアは)特別な選手はいなかったが、甘いチームではないと思っていた。絶対勝つ気持ちでやった」
稲本は当時22歳。1999年世界ユース選手権で準優勝した「黄金世代」の中心で、06年と10年のW杯も経験した。02年のチームはトルシエ監督と長い年月で築いた信頼関係があったが、現代表は直前になって監督が交代した。「全員が同じ方向を向くことが大事」と助言し、「結果次第で日本サッカーが上がっていくか平行線なのか重要な分岐点」。先駆者として見守る。(2018年5月24日配信)
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