◇多くを失った平成の大合併
全国の市町村の姿を変えた「平成の大合併」。国が推進した背景や問題点を専門家の大森彌・東京大名誉教授(行政学・地方自治論)に聞いた。
―市町村合併の背景は。
一つは行政改革の流れ。もう一つの流れはこの頃、地方分権改革(を進める動き)も台頭した。決定的だったのが小泉純一郎首相(当時)の2001年の「骨太の方針」。「速やかな市町村の再編を促す」と書かれた。(地方分権を進めるには受け入れ態勢が必要だという)受け皿論が大義名分になっていた。
―自民党の状況は。
1998年の参院選で惨敗し、「都市割り食い論」が台頭した。農山村に財政支援が行き、大都市の住民は不満だ、それが選挙に表れたのだと。都市選挙戦略上も合併推進の方向が強まった。
―国・地方税財政の三位一体改革の中で、地方交付税が削減された影響は。
あれで雪崩を打って、「これは危ない」とむちが入って、2005年前後に一挙に合併が進んだ。
―約3200あった市町村数が現在では1718になった。合併の成果は。
(当時目標とされていた)1000まではいかなかったが、予想以上に進んだ。
―なぜ進んだのか。
一つは、規模を大きくするのは良いことだと。もう一つ、日本では市と町村を比較すると、市の方が格上だと思い込んでいる。一回、市になったところは絶対に町に戻らない。降格だから。
―合併の功罪は。
失ったものが多い。合併がなかったら職員になり得た若者たちを採用できなかった。合併して周辺部になったところは人口減少(の割合)が圧倒的に高い。さびれている。大きくなると、住民の顔が見えなくなる。軒並み投票率も低くなる。デモクラシーは後退する。もう実証されている。
―明治と昭和にも大合併があった。
明治の大合併は、近代的な仕事をこなすにはそれまでの単位が小さくて不可能だったので、国が音頭を取ってやらせた。分権もへったくれもない。昭和も基本的にはそう。時代背景と託されている課題が違った。
―19年5月には平成に代わる新元号になる。
これまで3回あったから、4回目もあるかどうか。平成の大合併の起点になったのは、01年の骨太方針。あの時の言い方は「地方でできることは地方に委ねる」。つまり国を小さくしたい。小さい政府をつくるため、小さい町村をつぶすのが合併の正体。小さい政府をという議論は依然ある。それを新しい制度で言うと道州制になる。
(道州制導入で)都道府県をなくす。都道府県がやっている仕事は、基礎自治体に移す。人口規模は20万、30万になるのではないか。もし適用したら小規模の市は全滅し、町村は皆無になる。(2018年5月配信)
◇ ◇ ◇
大森 彌氏(おおもり・わたる)1940年3月24日、旧東京市生まれ。東大教養学部長、千葉大教授などを歴任。現在、東大名誉教授、一般財団法人地域活性化センター「全国地域リーダー養成塾」塾長。
政界インタビュー バックナンバー
新着
会員限定