「平成と私」インタビュー

小沢秀樹・キヤノン中国社長

◇日本が弱体化した時代

 平成のほとんどを中国など海外のビジネス現場で過ごした小沢秀樹キヤノン副社長執行役員(キヤノン中国社長)に聞いた。

 ―平成をどこで過ごしたか。

 ニューヨーク、シンガポール、香港、北京に駐在し、日本に住んだのは2年だけ。

 ―海外から見て日本の平成はどんな時代か。

 経済が弱くなり、特に企業が弱体化した。昭和の時代、日本企業は光っていて、日本製品は世界一流だったが、徐々に他国に抜かれていった。

 ―何が問題か。

 個々人が弱くなっている。若い世代を見ていると、頭が良くて要領もいいのだが、人間的な魅力に乏しい人が増えた。若者が夢を抱かないようになった。上司から与えられた仕事はきちんとやってのけるが、自分で仕事を見つけようとはしない。

 ―2005年から駐在する中国はどうか。

 企業は急速に強くなっている。人は前向きで元気がある。民間企業では、欧米帰りの洗練された社員たちがばりばり働いている。日本より立ち遅れた分野は残るが、進んでいる面も多い。われわれ日本人は中国への「上から目線」をやめないと、力の差が開く一方だ。

 ―長い海外生活で何が一番大変だったか。

 香港時代に新型肺炎(SARS)が発生し、「死の街」の中で仕事をした。感染地域が職場や自宅に迫り、自分も死ぬのではと不安だった。香港から日本に転勤した社員が出社するなり「(感染の危険があるから)職場に入るな」と冷たくあしらわれたと聞き、本社に切り捨てられたと感じた。

 ―どう乗り切ったのか。

 会社の上層部から「こんな状況で売れるわけがない。無理するな」と言われ、ほっとした半面、セールスマン出身の人間として反逆心が湧いた。そこで自社製品を買ってくれたら代金の一部を赤十字に寄付するというキャンペーンを大々的に始めた。「売ってみせる」との思いを抑えられなかった。その時期の売り上げは前年比で5割増えた。

 ―中国ビジネスの工夫は。

 社会主義ならではの独特の制度と、たびたび起きる反日騒動への対応が難しい。オフィスがデモ隊に襲撃され、看板を引きずり下ろされそうになったこともある。入り口に中国国旗を掲げ、暴徒の標的になるのを防いだ。また、普段から人との距離感を縮めようと、自社イベントでギターを弾きながら歌っている。「変わった経営者」と思ってもらうことで、社内外で人間関係が濃くなった。

 ―平成を日本で生きていたら。

 平穏な会社生活を送っていただろう。米国駐在だった30代の時、職場の日本人は自分だけで、日々の仕事を1人で決めていた。「サラリーマンってこんなに楽しいのか」と幸せに思った。日本にいなかったからこそ、放たれた野獣とも言える今の自分になった。食うか食われるかのジャングルで、たくさんのことを学ばせてもらった。(2018年5月配信)

  ◇  ◇  ◇

 小沢 秀樹氏(おざわ・ひでき)1973年キヤノン入社。米国、シンガポール、香港の駐在などを経て2005年からキヤノン中国社長。17年からキヤノン副社長執行役員。1950年4月28日、福井県生まれ。

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