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「平成と私」インタビュー

鈴木敏文・セブン&アイ名誉顧問

◇消費「安さ」から「質」へ

 日本にコンビニエンスストアを導入し、定着させた鈴木敏文セブン&アイ・ホールディングス名誉顧問。低成長下で盛衰が激しかった小売業界について聞いた。

 ―平成の間にセブン-イレブンの店舗は4000店から2万店に増えた。

 消費者がどんどん質を求めるようになった。プライベートブランド(PB、自主企画商品)は安さ(優先)のイメージだったが、セブンは百貨店でも売れる品質にした。大いに売れ、今や1兆3000億円規模の売り上げだ。従来通り、安ければ売れると価格を中心に考えた企業は失敗した。

 ―求められる商品も変化した。

 当初、おにぎりや弁当を売ると言ったら反対された。家で作るものであり、誰も買わないと。しかし世の中は変わり、主力商品になった。高齢化が進めばすぐに食べられる総菜が売れるようになる。これからも求められるものは変わる。変化は常に大きなチャンスで、コンビニは「変化対応業」だと言ってきた。

 ―総合スーパーや百貨店が経営難に陥った。

 街の食料品店やたばこ店がつぶれていった時、当時台頭していたスーパーのせいだと言われた。しかし、求められているものが変わっているのに、小売店は昔のままで何も変わろうとしなかった。私がセブンを手掛けた当初、総合スーパーや百貨店で成功していた中内(功・旧ダイエー創業者)さんや堤(清二・元セゾングループ代表)さんが、そんな小さな店はうまくいかないと思ったのも無理はない。2人とも偉大な人物だったが、時代の変化に対応できなかった。

 ―銀行参入や高品質PBを実現させた。

 もっと便利になるんじゃないか、良くなるんじゃないかと、常に自分の考えで動いてきた。ビッグデータや過去の成功例に頼り過ぎてはいけない。競争が激しい時こそチャンスだし、今こそ新しい考え方を導入すれば必ず成功する。皆が反対することはやりがいのあることだ。

 ―平成は「失われた10~20年」と言われる。

 失われたのではなく、物が足りてそこそこ満足し、変化を望まなかった時代だ。昭和は戦争を区切りに常に大きな変化があり、それに対して挑戦してきた。平成は戦争もなく幸せな時代だったが、変化がないので挑戦もなかった。

 ―これからの小売業は。

 正直言って分からない。5年たてば何でも変わる。(自動車の)自動運転だって、最初は誰も実現するとは思っていなかったはずだ。自動運転車は、高齢化が進み、車がないと困る地方都市で先に普及するだろう。コンビニが今売っている商品以外の物を売ってはいけないと誰が決めたのか。車だって何だって売れる。世の中の変化に合わせて、商品も業態も変えていけばいい。(2018年5月配信)

  ◇  ◇  ◇

 鈴木 敏文氏(すずき・としふみ)1963年イトーヨーカ堂(現セブン&アイ・ホールディングス)入社、73年に日本初の本格的なコンビニエンスストアチェーン「セブン-イレブン」を米国から導入。92年社長。銀行業参入や高品質プライベートブランド開発を推進したほか、ミレニアムリテイリング(現そごう・西武)などを相次ぎ傘下に収め、日本を代表する巨大流通グループに育てた。2016年に名誉顧問。1932年12月1日生まれ。長野県出身。

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