◇戦争の傷痕と癒やしの時代
旧日本軍による英兵捕虜の人たちやその家族を癒やし、日英の和解に尽力した英国在住の恵子ホームズさんに聞いた。
―和解のための活動を始めたきっかけは。
私の故郷は現在の三重県熊野市紀和町で、第2次大戦中、そこにあった収容所では英国人の捕虜16人が亡くなっている。1980年代の後半、16人のための立派なお墓が建っているのを見たのが活動の原点。亡くなった元捕虜のお母さんたちを捜し、「こんな素晴らしいお墓があるんですよ」と伝えたかった。
―元捕虜らとつながりができ、その人たちを日本に招く「心の癒やしと和解の旅」が92年に実現した。皆さんの反応は。
活動を始めたばかりのころ、ロンドンの元捕虜の集まりで会長を務めていた人に電話をすると、本人も奥さんもすごく怒っていた。電話口で「わーっ」と声を張り上げて。その人はタイとビルマ(現ミャンマー)の間の泰緬(たいめん)鉄道の建設で、日本軍にかり出された経験があった。
「日本人は戦争のことを何も知らない。教えていないんだ」と、日本人にとても不信感を持っていた。でも、その人を含めた元捕虜の人々は(私が出会った)何年か後にすっかり変わった。日本を憎んだ人たちが日本人と触れ合い、親しくなる。
「ごめんなさい」「日本に来てくれて、ありがとう」。日本人のそんな言葉に癒やされたのだと思う。旅の後、皆さんからもらう手紙には「悪夢を見なくなった」「解放された」「もう日本人を憎んでいない」とつづられていた。
―癒やしと和解の旅ではどんなエピソードが。
元捕虜の人らは、日本を訪れると必ず長崎か広島に行く。彼らのほとんどは原爆が落ちたから自分が自由になったと思っている。原爆があったから戦争が終わり、日本人も助かったんだと。それが平和祈念館を訪れると、皆びっくりする。一般の市民、女性や子どもが被爆し、苦しんだことを初めて知り、「申し訳なかった」と謝る。「ウエスト、われわれ(連合国軍)がやったんだ」と。
―天皇、皇后両陛下訪英の際に会っているが、どんな話を。
98年5月の訪英の際、私はバッキンガム宮殿の晩さん会に招かれた。会場に続く部屋にエリザベス女王と(夫の)フィリップ殿下、天皇陛下、皇后美智子さま、それに女王のお母さまが立っておられ、私たち来賓を歓迎してくれた。
陛下には「(元捕虜ら英国の)お年寄りの人たちをお世話くださってありがとう」と声をかけられた。陛下は(元捕虜らに)謝りたいのだろうなと強く感じた。一言謝ることができたら、すごくお気持ちが楽になるだろうなと思った。
―2012年5月の訪英で印象に残っていることは。
ロンドンの日本大使公邸で行われたレセプションで、陛下は皆に、以前と比べ、英国の人々により受け入れられたという話をされた。98年には陛下(の乗った馬車)に背を向けたり、日本の国旗を燃やしたりする人がいたが、12年にはそんなことはなかった。私は陛下から「これもあなたたちの活動があったからですね」とおっしゃっていただいた。
―和解に尽力した30年は平成とほぼ重なる。あなたにとって平成とは。
戦争の傷痕と癒やし。そういう時代だった。癒やしと和解の旅は一度だけのつもりだった。英国人に「日本政府のスパイ」と言われ、日本人に「あなたには愛国心がないのか」と非難されることもあった。元捕虜の人々の大会を訪れ、「帰れ」「日本人など大嫌いだ。出て行け」と罵倒されたこともある。資金集めも大変で、30年も続くとは思っていなかった。
―つらいこともあったと思うが、活動を続けることができたのはなぜか。
多くの方々が協力してくれて、(日本人も英国人も)みんなが変わるからでしょう。にこにこと。「友達(元捕虜)が変わった」という声が聞こえてくる。車いすで(日本に)行って、その後は車いすが要らなくなった人も数人いる。そういうことが私を喜びで満たしてくれた。
でもね、私はやはり(クリスチャンとして)信仰を持っているという点で違ったと思う。背後にある大きな力、神様の力ですかね。人間の努力だけでは続かなかったと思う。(2018年5月配信)
◇ ◇ ◇
恵子(けいこ)ホームズさん 日英和解のため、慈善団体「アガペ・ワールド」を主宰。元英兵捕虜や家族らを日本に招いてホームステイしてもらうなど、心の傷を癒やす試みを続ける。英国人と結婚し、1979年渡英。エリザベス女王から98年に勲章。99年に日本政府から外務大臣賞。夫は84年に飛行機事故で亡くなった。48年2月16日生まれ。三重県出身。
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