◇「戦後」という時代の終焉
日本政治外交史が専門で、天皇陛下の相談役の宮内庁参与も務めた三谷太一郎・東京大名誉教授に聞いた。
―「平成」はあと1年となった。
今上天皇の自らの退位の決断により、一つの時代に終止符が打たれる。戦中の天皇制教育を受けてきた人間にとって感慨深い出来事だ。74年に及ぶ「戦後」という、日本の近代史上例がない戦争のない時代がいよいよ終焉(しゅうえん)を迎えることを意味する。
夏目漱石は小説「こころ」の「先生と遺書」の中で、明治天皇の崩御に際会した「先生」の感想として、「私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終わったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟(ひっきょう)時勢遅れだという感じが烈(はげ)しく私の胸を打ちました」と書いた。
「明治」を「戦後」に置き換えると今の私の感じに近い。「戦後の精神」がどう終わるかを自分の目で見届けたい。
―「平成」は政治史的にはどんな時代だったか。
「冷戦後デモクラシー」と、それに続く「首相統治」の時代だ。平成が始まった1989年、ドイツでベルリンの壁の崩壊、中国では天安門事件が起き、東西冷戦が終結した。国内でも「55年体制」が解体し、「冷戦後デモクラシー」の時代を迎えた。
2012年に第2次安倍内閣が発足し、今は「冷戦後デモクラシー」が固定化した「首相統治」の時代だ。自民党一党支配は「55年体制」当時と同じだが、党内の派閥対立による権力のダイナミズムが働いた当時と比較すると、立法と行政が結びついた形で内閣、さらに首相の支配が進んだ「安倍一強」となった。
「首相統治」は日本固有の現象ではなく、英国でも第2次世界大戦中のチャーチルに始まり、戦後のアトリーへの政権移行時にも見られた現象だ。他方で、かつて政治を動かした女王や上院の象徴化が進んだ。
―「平成」の皇室をどう受け止めているか。次の時代の皇室への期待は。
私が国民学校3年だった1945年4月1日の夕方、米軍の沖縄上陸を伝えるラジオのニュースを岡山で聞いた。そのとき、一緒に遊んでいた友達が「うちのお父ちゃんのおる島じゃ」と、血相を変えてすっ飛んで帰ったことが、強烈に印象に残っている。その子の父は、沖縄戦で戦死した。
今の天皇はそうした戦争の記憶を国民に呼び起こすことを続けてきた。3月の沖縄訪問もその一つだが、憲法の「象徴」の意味をよく考え、果たすべき役割を常に念頭に置いて、実際の行動に移してきた。「戦後」を体現し、「戦後の精神」の象徴として、空間的・歴史的にも「国民統合」の役割を果たした。
次の天皇は戦後生まれで、戦争の記憶を持つ今の天皇と育ってきた社会環境も異なる。憲法の順守は天皇としての当然の責務だが、憲法の制定過程では、象徴天皇制と憲法第9条に表れた平和主義は深く結びついている。戦争がなかった「戦後」という時代の「精神」をぜひ引き継いでいただきたい。(2018年5月配信)
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三谷 太一郎氏(みたに・たいちろう)東大法卒。東大法学部長、日本学術会議会員、成蹊大特別任用教授などを歴任。2006~15年宮内庁参与。東大名誉教授、日本学士院会員。11年に文化勲章受章。1936年9月29日生まれ。岡山県出身。
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