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「平成と私」インタビュー

石原信雄・元官房副長官

◇平和が実現した時代

 竹下内閣で事務方トップの官房副長官として、昭和天皇の崩御と今の天皇陛下の即位を取り仕切った石原信雄氏に聞いた。

 ―平成の30年間はどんな時代だったか。

 「平成」は「内平らかにして外成る」の意。昭和は大変な時代だった。日中戦争、太平洋戦争があり、原爆まで落とされて国土が荒廃した。次の世代は平和になってほしい、という願いを込めて、平成の元号を選んだ。幸いわが国を当事者とする戦争はいっぺんもなかった。残念なことに、阪神大震災があったり東日本大震災があったり、大きな災害に見舞われた。経済的にはバブル崩壊などはあったが、大恐慌はなかったし、国民の所得・生活水準も改善された。平成という時代は、平和がある程度実現した時代だったと思う。

 ―日韓間の慰安婦問題など、昭和の「負の遺産」への対応もあった。

 慰安婦問題は村山内閣の時に「アジア女性基金」ができ、可能な限りの対応はした。ただ、(慰安婦の)身元調査のためのデータは韓国にあり、韓国はそれを提供してくれない。どうしても限界があった。

 ―歴代政権で印象に残ることは。

 対外的には湾岸戦争の時、わが国がどう対応するかいろいろ議論があった。多国籍軍に自衛隊を出すことについては結論が出なかった。戦闘終結後、自衛隊が機雷の除去をした。今の憲法の制約の下で最大限のことができた。

 ―内政面ではどうか。

 何と言っても大喪の礼と即位の礼だ。(政教分離を定める)新憲法体制になってから、儀式の内容は何も決まっていなかった。戦前の例をどこまで踏襲できるかが大きな課題だった。

 ―伝統と憲法のはざまで苦労したことは。

 どう線を引くか大変苦労した。(神道様式の)葬場殿の儀と政府が主催する大喪の礼を別の場所で別の日に行うという議論もあった。最終的に新宿御苑で大きな幕を準備し、初めに葬場殿の儀を皇室行事で行い、いったん幕を閉めて、鳥居と大真榊を撤去し、幕を開けて大喪の礼を行った。綱渡りみたいな話だ。

 ―出席者の衣装なども議論になった。

 即位の礼は、天皇、皇后両陛下は伝統衣装で、宮内庁職員は伝統装束、政府関係者はモーニングにした。おかしいという意見はあったが、将来の先例になるので押し切った。一番問題になったのは大嘗祭。徹頭徹尾、神道行事だ。結局、各分野の意見を聴き、皇室行事として伝統様式でやった。

 ―今の陛下は被災地訪問や戦地慰霊など国民との対話を大事にされた。

 今の陛下は、国民と共にある、その点を非常に心がけておられる。頭が下がる。

 ―2019年、天皇の代替わりがある。

 皇太子殿下も両陛下の対応はよく見ておられるから、同様に務められるのではないか。昭和天皇は戦前の体制下で即位され、「現人神(あらひとがみ)」と言われた存在だ。しかし今の陛下は新憲法の下で即位され、昭和天皇とは大きな違いがあった。今の陛下が気を使われたようなことはないのではないか。(2018年5月配信)

  ◇  ◇  ◇

 石原 信雄氏(いしはら・のぶお)東大法卒。1952年、地方自治庁(現総務省)に入り、事務次官を経て、竹下内閣から村山内閣まで事務担当の官房副長官を務める。1926年11月24日生まれ。群馬県出身。

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