「羊(ひつじ)」の毛で作られたハンマーが、「鋼(はがね)」の弦をたたく。ピアノの精巧な機構から生まれる豊かな音に、生まれ故郷と同じ「森の匂い」を感じて、調律師になった青年がいた。その心の成長を描いた宮下奈都の小説が、2016年の本屋大賞受賞作「羊と鋼の森」だ。
物語の舞台装置となったピアノの歴史もまた、森のように奥深く、数多くのドラマを秘める。話題作が山﨑賢人の主演で映画化され、6月8日に東宝系で全国公開されるのを前に、武蔵野音楽大学楽器博物館の守重信郎学芸員に、歴史を映す珠玉の楽器コレクションの世界を案内してもらった。
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祖先のチェンバロ訪ね、武蔵野音大へ
ピアノは、弦を鳴らす弦楽器だ。同じように黒と白の鍵盤があっても、パイプを鳴らす管楽器であるオルガンとは原理が異なる。人類と音楽の歴史をひもとけば、弦楽器は原始時代の狩猟用の弓の弦という素朴な道具までさかのぼり、長い歳月を経て鍵盤と結びつくが、それは今回とは別の話だ。
守重さんによると、ピアノの直接の祖先となった楽器は16~17世紀のバロック時代、王宮文化が花開く欧州で流行した「チェンバロ」だ。「ハンマーが打弦するピアノとは違って、鍵盤の先に備えられた爪が弦をはじいて演奏するので、仕組みはギターに似ています。さまざまな音楽の場で使われ、その形も多様でした」
当時、イタリアの楽器職人が作ったチェンバロが武蔵野音大のコレクションにある。弦が鍵盤と平行に張られる「ヴァージナル」と呼ばれるタイプ。「『私は国家と結婚した』という有名な言葉を残し、生涯を独身で過ごしたイギリスのエリザベス1世も愛用したといわれる楽器です」。この収蔵品は、鍵盤が50鍵で、一般に88鍵ある今のピアノよりかなり小さい。華やかな装飾意匠が印象的だ。
いったん忘れ去られた天才の発明
世界で最初のピアノを製作したのは、イタリア生まれのクリストフォリで、18世紀初頭のことだ。音の強弱(フォルテとピアノ)をつけやすいよう、ハンマーが打弦するというアクションをチェンバロに取り入れた。鍵盤を指が押す速度の何倍もの速さで打弦し、弦の振動をハンマーが妨げないようにする仕掛けも工夫した。
「画期的な発明で、まさに天才。彼のおかげで現代のピアノがあります」と守重さん。発明の価値は世の中には理解されず、クリストフォリが亡くなって一時、忘れ去られてしまう。ドイツのジルバーマンがしばらくたって、この「フォルテピアノ」を再現し、後世に花開くことになった。
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