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フェンシングを満員に! 太田雄貴さんインタビュー

「ニート剣士」から10年

 銀メダルを獲得し、22歳の「ニート剣士」として名前が全国に知れ渡った08年北京五輪から10年。会長就任と前後して、国際フェンシング連盟理事就任、会社設立、TBSアナウンサー笹川友里さんとの結婚、所属先の森永製菓退社などを経験し、新たなステージでの活動が進んでいる。

 「森永の在籍中にロンドン五輪でメダルを取れて、世界選手権で優勝できた。そこそこ結果を出せたのはすごくうれしく思っている。社員の皆さんには感謝の気持ちしかない。最後まで楽しい10年間でしたね」

 「僕、勝つか負けるかはそんなに興味がなくて。勝ち負けだけにこだわると、勝てなくなった時に選手は虚無感にさいなまれちゃう。存在意義がないみたいな。アーバンスポーツですごくいいのは、勝ち負けじゃなくライフスタイルに入っている。失敗しても拍手をあおるし、チャレンジすることが格好いいと。あれを見るとちょっと琴線に触れる。僕が会長としてやらなければならないことは、多分これ。競技部長はひたすら勝つことだけを考えると思いますが、僕はフェンシングの価値をどう上げていけるか。フェンシングと一緒にマーケティング活動をしたいよねと思ってもらえることが僕の仕事だと思っている」

 選手の立場で招致活動にも尽力した東京五輪が2年後に控える。今後は国際的な人材として活躍したいとの思いもある。最後に直近の目標を尋ねた。

 「短期的には東京五輪・パラリンピックのフェンシング会場が満員の状況で、日本選手が好成績を挙げる。その好成績がどんどん波及していって、いいサイクルに入っていくこと。フェンシングを通して、どれだけ感動体験が世界中の人たちに伝わるか、伝える努力をし続けるかというのが一番重要なことだと思っています。そこに携われているのが僕にとって勉強にもなるし、生きがいにもなっています」

◇ ◇ ◇

 太田 雄貴(おおた・ゆうき) 京都・平安高(現・龍谷大平安高)から同志社大に進み、フェンシング・男子フルーレで04年アテネ五輪から4大会連続五輪出場。08年北京五輪で日本勢史上初の銀メダル獲得。12年ロンドン五輪は団体で銀。15年世界選手権で史上初の金メダルに輝く。16年リオデジャネイロ五輪を最後に現役を退いた後、日本フェンシング協会理事となり、17年8月に会長就任。国際フェンシング連盟理事、日本アーバンスポーツ支援協議会副会長なども務める。選手時代には20年東京五輪招致活動にも携わり、国際オリンピック委員会総会でスピーチもした。1985年11月25日生まれ。滋賀県出身。

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