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明治元年に行ってみる!

権力の空白

 今年は明治元年(1868)から150年。日本人はアジア太平洋戦争が終わった昭和20年(1945)のことは知っていますが、日本の針路を規定した明治改元の年についてはあまり知りません。作家、加来耕三氏の新刊『1868 明治が始まった年への旅』(時事通信社)は徹底的にこの年にこだわり、1年間を月ごとに一つの章にした一冊。波乱万丈の本文に加え、この年を生きた人たちの証言を並べた脚注、日ごとの出来事ダイアリー、毎日の天気まで入れる凝りよう。本書の内容を紹介します。

 この前年、幕府は大政奉還をして、王政復古の大号令もありました。江戸時代は終わり、新政府がスタートしていましたが、オフィスもなければ予算もありません。新政府を担う朝廷の石高はたった10万石。400万石の旧幕府には遠く及びません。265年間にわたり国を統治した旧幕府の実績と圧倒的な軍事力を前に、実はビクビクしていたのです。

 江戸時代、地方行政の権限は領地を分け与えられた藩にあり(幕末で260余藩)「地方分権」の時代でした。新政府も、新たな政権基盤づくりに実質的な権力を持つ藩や大名の意向を反映する必要があり、様子を見るしかありませんでした。

 新年早々、旧幕府側は薩摩藩などをターゲットに2万3700の兵を動かします。新政府の公卿たちは「使いを出して徳川慶喜の怒りをなだめよう」などと弱気。会議を開いても何も決められません。会議中、19歳(数え年)の公卿が次室の末席から進み出て発言しました。「今は議論すべき時ではありませぬ。昨冬の御沙汰、討幕の密勅もある。今日、直に、開戦を宣するのが至当と心得まする」。青年貴族の一言に気おされる形で、ついに慶喜と旧幕府軍の追討が決定されました。発言したのはのちに宰相、元老として知られる西園寺公望でした。

 お金のない新政府は「国債」(会計基立金)と紙幣(太政官札)の発行で、財政の基盤をつくろうとします。資金源は豪商ですが、そう簡単に出してくれない。お札も金貨や銀貨と交換できる兌換(だかん)紙幣は発行できないので、信用力のない不換紙幣を通用年数限定で出すしかありません。

 財政を担当した元福井藩士の三岡八郎(のち由利公正)がイギリス公使パークスに札を見せると「こんな紙ではすぐ破けてしまう」とばかにされます。「破れるものなら破ってみろ」と言い、公使は力任せで破ろうとしますが破れません。「これダメあります」。札は三岡の故郷、越前の丈夫な「越前和紙」でできていたのです。

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