―新入幕を果たしたのも大関昇進を決めたのも、横綱として初めて土俵に上がったのも九州場所だった。その九州場所で引退の決断をすることについての心境は。
日馬富士 17年前に、平成12(2000)年9月に日本に来て、そして初めて来たのが九州場所だったので、本当に縁起の良い場所で…。そして九州の後援会会長、そして奥様に大変かわいがっていただいていました。本当に九州、大好きです。そして太宰府の神様も心から信じてます。
―その九州場所で引退を決めたことについては。
伊勢ケ浜親方 決めたというか、そうなったんじゃないですか。それを今言っているんですから、その質問がちょっとおかしいんじゃないですか。
―一連の騒動の中でいろいろな葛藤があったと思うが、どの段階で引退を決意したのか。
伊勢ケ浜親方 それもさっき述べたじゃないですか。場所中に話をしたわけだから。それをさっき述べたんだから。同じ質問を繰り返して…。
―細かい段階のところを…。
伊勢ケ浜親方 だから場所中に話をして…。
もっと皆さん、聞きたいことがあると思うので。同じような質問じゃなくて。代わってください。1人、一つにしないと。話をちゃんとしないといけないので。
―今後、角界に関わっていきたいという思いはあるか。
日馬富士 …。
伊勢ケ浜親方 きょう引退したばかりだから、それは出ないでしょ。
―何があって、どういう経緯だったのか。貴ノ岩関にこれまでやっていなかった指導をしたのは、どんな思いだったのか。
伊勢ケ浜親方 ちょっといいですか、私で。今の質問に対して。まだ捜査も続いていますので、そういったことに対しては答えられないですね。今までの指導というのは、さっきも述べていますので。
―九州場所の優勝インタビューで白鵬関が、日馬富士関と貴ノ岩関をもう一度土俵に上げたいと話したが、それについてどう感じているか。
日馬富士 今も言いましたが、相手にけがを負わせたこと、横綱として…。責任を持つのが横綱なので…。でも、その気持ちはうれしかったです。
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