学校法人「森友学園」をめぐる問題で注目を集めた言葉「忖度(そんたく)」。今年の「ユーキャン新語・流行語大賞」の有力候補とも言われていますが、本来は他人の心を推し量る意味だけで、何かを配慮する意味はないのだとか…。37年間、辞書編集に携わり、先日、言葉に関するコラム集の第2弾『さらに悩ましい国語辞典』を出版された神永曉(かみなが・さとる)さんに、変化し続ける日本語の不思議についてお聞きしました。
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『さらに悩ましい国語辞典』では、政治家の使う言葉を多く取り上げました。辞書編集者の仕事は「言葉の収集」です。書き言葉は文献をあさります。国立国語研究所が構築した「コーパス」(データベース化された文献資料)もあります。でも話し言葉は難しい。用例を集めるのに国会会議録が有効だと気付き、「政治家の言葉」とのお付き合いが始まりました。
国会会議録では興味深い言葉の使用例がいくつも見つかりました。
例えば「しっかり」です。「仕事や勉強などを熱心・着実に行うさま」を表す言葉ですが、最近の政治家がよく使うのが気になっていました。そこで年別、内閣別にどれくらい「しっかり」が会議録に登場するか調べてみました。小泉純一郎内閣時代の2002年には925件も使用例が見つかります。1983年の中曽根康弘内閣時代は321件でしたから、3倍近くです。小泉内閣以降、国会の「しっかり指数」が上昇したと言えるかもしれません。
次に気になったのが「忸怩(じくじ)」でした。本来は「自分の行いなどについて恥ずかしく思うさま」を言うのに使われます。ところが会議録を見ると、「残念、もどかしい、腹立たしい」などの意味で使っているのがほとんどです。他人にいら立っているばかりで、自分は全然恥じていない。
本来の使い方ではない使用例は他にもたくさん見つかりました。例えば普通、将棋は「指す」、囲碁は「打つ」と言いますが、これを逆に「将棋を打つ」「囲碁を指す」と言っている例がかなり見つかりました。また「論議を呼ぶ」「物議をかもす」を混同して、「論議をかもす」と言っている例も多かったです。
政治絡みで最近話題になった言葉というと、「忖度」がすぐに思い浮かびます。しかし「忖度」は本来、他人の心を推し量る意味だけで、その上で何かを配慮する意味はありません。森友学園の籠池泰典前理事長が国会の証人喚問の際に使ったことで一躍脚光を浴びましたが、実はそれ以前にも「政権に配慮する」意味で使われていました。テレビ番組や新聞などの報道内容が政権におもねった内容になることを「忖度」と表現していたのです。
籠池前理事長のようなケースでは「斟酌(しんしゃく)」の方がふさわしいと思います。ただこの言葉も、もともとは「酒を酌み交わす」という意味だったのが「寛大な取り計らい」に拡大した歴史があります。どうも、この手の言葉は同じような変化をたどるようです。
『日本国語大辞典』は「忖度」の用例として福沢諭吉の「文明論之概略」の一節を引用していますが、『さらに悩ましい国語辞典』では、その前後の文章も含めて現代語訳を掲載しました。人の心の推し量ることの困難さ、無意味さ、愚かしさを語った格調高い一文です。私自身もそうですが、耳の痛い人も大勢いるのではないでしょうか。
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