「静」の降旗康男、「動」の木村大作と評される2人。製作発表では、監督が「年も年(81歳)なので、いつも最後の作品になるかもしれないと思っている」と言えば、キャメラマンは「新しい旅の始まり」も意識したとコメントした。
―富山と石川などを舞台に、今回も自然の情景と登場人物の心情が見事にリンクした作品でした。やはりこういう題材だったら木村さんに撮ってほしいと?
降旗 大ちゃんは(初監督作品の)「劒岳 点の記」(2009年)などで富山の映画関係知事代理のようになっていたので(笑)。楽をさせてもらったなと思っています。
―木村さんはオファーがあって、どこが面白そうだと思いましたか。
木村 それはひとえに「監督降旗康男」ということ。僕は企画がいいか悪いかで、撮る作品を選んだことはないですね。昔、同時に2本オファーが来た時は、「企画はこっちがいいけど、頼んできた人が嫌。こっちはこの人だからいいな」と(笑)。人で選ぶのが一番間違いないと思ってますね。
―お互い気心が知れていると?
木村 9年ぶりという感覚はないですね。性格は全く違うんですが、降旗さんの考えは分かっているつもりです。分かっていないかもしれないが(笑)、こういうことをやりたいんだな、ということは分かる。それで、自分なりに行動するということかな。
降旗 いつも同じことを考えていたのか、という感じです。郷里(長野県松本市)の言葉で「ずくなし(根気がない)」と言って、苦労をなるべく避ける性癖があるもんですから(笑)、大ちゃんと仕事をやるときは楽ですね。
―東映出身の降旗さんと東宝出身の木村さんの出会いは「駅 STATION」(1981年)の撮影でした。当時はお互い、どんな印象でしたか。
木村 降旗さんはもう少し元気で、僕も今よりもっと元気でした(笑)。でも、性格や考え方は変わっていない。だから、最初からしっくりいったんじゃないかな。すーっと撮影に入っていけたわけですから。
降旗 会う前にいろんなうわさは聞いていました。鶴田浩二さんの「聖職の碑」の撮影で、常人とは思えないキャメラマンが山道を飛び回るので、一緒にいる方が死んでしまうと(笑)。実際、大ちゃんは自分が走り回るだけじゃなく、プロデューサーや助監督などの役も1人でやっている感じでしたね。
新着
会員限定